ウェスアンダーソンの作る小規模な街は、どこまでも外部へと広がっていく。『アステロイドシティ』

雑談

街がある。その名はアステロイド(小惑星)シティ。

人口、87人。

10棟のモーテル、1つの飲食店、1つのガソリンスタンド、1つの天文台、1つの隕石跡。

街を構成する要素はこれだけだ。

周辺には砂漠が広がり、外部からのアクセス手段は片側一車線の国道しかない。鉄道はあるが、貨物列車が通り過ぎるだけ。

周囲から隔離され、閉鎖された空間、アステロイドシティ。

しかしそこで生まれる物語は、遥か彼方への「広がり」を持っている。

あらすじ

物語は、アステロイドシティで科学コンテストの表彰式が行われるところから始まる。5人の天才的な子供とその家族がアメリカ政府によって招待され、宇宙開発についての新発明を披露する。

大きく物語が動くのは、式典の途中、突如として宇宙人が登場する場面である。宇宙人を目撃した人々は政府の情報統制のもとにおかれ、アステロイドシティに監禁される。

外部への連絡・移動手段が絶たれた家族たち。

そんな彼らは、閉鎖されたアステロイドシティでどのように変化していくのか…。

冷戦、核実験、宇宙開発、政府の情報統制、エイリアンなど、50年代のアメリカの要素をふんだんに詰め込みながら、アステロイドシティを舞台に群像劇が描かれていく。

アステロイドシティの「ミニチュア感」と、宇宙への広がり

この映画を見て私がよかったなと思う点は、アステロイドシティの「ミニチュア感」だ。

周囲には広大無辺な砂漠だけが広がり、最低限の設備、最低限の人間で成り立っているアステロイドシティは、僕には模型を動かすための「ミニチュア」のように見えた。

そういった街の「ミニチュア感」は、事物を正面から写し取るショット、直覚的に動くカメラワーク、ビビットな配色などの、ウェスアンダーソン監督の映像美によっていっそう際立っていく。

街を動かすもっと大きな「作り手」が存在するかのように錯覚できるアステロイドシティの雰囲気が僕はとても好きだ。

そして、そんな「ミニチュア感」のあるアステロイドシティだからこそ、宇宙人の襲来という荒唐無稽なイベントが違和感なく物語へと溶け込んでいく。町全体を揺るがす大きな「何か」が存在するかもしれないというアステロイドシティの気配が、「宇宙人」、あるいは登場人物の語る「宇宙」への想像力と結びつく。

アステロイドシティの閉鎖された感じ、最低限のもので成立している感じ、その雰囲気が「宇宙」というもっと超越したものへの「広がり」を連れてくる。

そういった、アステロイドシティの持つ外部への「広がり」というのは、作品の「外部」への「広がり」にもつながっている。

メタフィクション作品、アステロイドシティ

実は、本作はメタフィクション性を持った作品である。

この作品で描かれるアステロイドシティの物語は、新作劇『アステロイドシティ』の一場面として劇中では描かれており、この映画は「『アステロイドシティ』のメイキング番組」というていで進行する。

そのため、映画内では劇『アステロイドシティ』とそのメイキング番組という、二つの物語が交互に描かれていく。アステロイドシティは、物語を超越した外部のメタ物語へ広がりを見せる。

一見すると、アステロイドシティの物語と、その物語のメイキングというメタフィクション的な構造は、劇中劇『アステロイドシティ』で描かれている出来事への没入感をそいでしまうかのようにみえる。

しかし、この映画がメタフィクション性を持っていることは、必ずしも『アステロイドシティ』への没入感を奪うことを意味しない。

むしろ、メタ物語において劇『アステロイドシティ』の裏側が見え隠れするからこそ、『アステロイドシティ』で演じられる物語に切実さや説得力が生まれてくる。

劇中劇『アステロイドシティ』がメイキング番組という外部の物語に開かれているからこそ、私たちはアステロイドシティで繰り広げられる人々のふるまいに浸ることができるのだ。

アステロイドシティのメタフィクション性は、庵野秀明や寺山修二監督の得意とするようなメタフィクション性とは違っている。

庵野秀明や寺山修司のように、物語の外部が存在することを突きつけることによって、「これは結局のところ虚構なのだ」と視聴者のはしごを外すようなメタフィクション性を、映画「アステロイドシティ」は持っていない。

アステロイドシティはあくまで物語の外部、メタフィクションが存在することを優しい語り口で提示することによって、フィクション世界の存在を視聴者に刷り込んでいく。そのことによって、映画の登場人物において、現在進行形で作られている物語としての『アステロイドシティ』を視聴者は眺めることができる。

視聴者がそのようなまなざしでアステロイドシティで起こっている出来事(イベント)を見るとき、劇『アステロイドシティ』でふるまう演者の演技にどことなく切実なものを感じる。

映画、アステロイドシティのメタフィクション性はそのような性質を持っている。

まとめ

小さな街、アステロイドシティ。砂漠の真ん中にあるこの町は、外界からは閉鎖され、隔離されている。

しかしそのアステロイドシティは、ウェスアンダーソン監督の技巧によって、「宇宙」や、「メタ物語」といった外部への広がりを持つ、不思議な魅力を持った街に変化しているのだ。

ジェイソン・シュワルツマン、スカーレット・ヨハンソン、トムハンクス、エドワードノートンなどの有名俳優が名を連ね、カントリーミュージックが切なさを誘う映画アステロイドシティ、ぜひ劇場で。

狸小路6丁目、シアターキノで上映中。

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