JリーグとJPOPを並列して語ることは可能か?『日本代表とMr.children』

  • この本はこんな人におすすめ
  • サッカー日本代表について知りたい人
  • Mr.childrenについて知りたい人
  • 日本のサッカーとメディアとの距離感の変遷を知りたい人

「無茶だろ・・・」

僕は、アマゾンでこの本のタイトルを見た時そう思った。もちろん、両者の中でつながるものはある。長谷部や長友、香川や乾といった日本代表の選手はミスチル好きを公言していたそうだし、ミスチルの桜井も一時期ライブ前にサッカーボールを蹴ることで気持ちを整えていたくらいのサッカー好きである。

しかし、日本代表とミスチルとの繋がりを、長く一冊の本としてまとめることは、流石に無理なんじゃないか。

ミスチルとサッカーの連関というテーマは、あくまでコラムのように短い文章としてまとめることぐらいしかできないものであり、それを200ページを超える一冊の本まで引き伸ばして語ることは不可能なのではないか・・・。僕は、そう考えた。

けれど、この『日本代表とMr.children』(宇野維正×レジ―)を読んでいると、僕が抱えていたわだかまりは消え去った。「日本代表の精神性とミスチル的なものは、深いところで分かちがたく結びついている」という主張が、すんなりとではないにせよ、受け入れられるようになった。

内容について

この本は、サッカー日本代表とミスチルが歩んできた歴史を、映画の並行編集のように交互に見ていく流れを取っている。ミスチルから日本代表へ、日本代表から、ミスチルへ。その議論の流れは、よどみなく、スムーズだ。

日本代表とミスチルの間には、以下のようなつながりが挙げられている。

・人気の獲得の仕方

ワールドカップ初出場を大きな目的の一つとして、1993年に誕生したJリーグ。開幕時は実況中継で20%もの視聴率をたたき出し、選手がテレビCMに露出しまくるほどの大人気に。人気の原因は「広告業界とテレビ業界を中心とするメディアのスクラムがメチャクチャ有効に機能しまくった」(p24)ことらしい。

一方で、ミスチルが世に出ていくきっかけとなった4thシングル『CROSS ROAD』が登場したのも1993年。この頃から、音楽の世界では一般的に「JPOP」という言葉が使われるようになっていく。「ミスチルの音楽は、世の中の流れの中でJポップという言葉をまとうことになって、時代の寵児的なイメージの形成がされていった」(p42)のだそう。

1993年には、JリーグとJPOP、二つのJ(内村鑑三?)が世間をにぎわせていたのだそう。

ここは、僕がこの世代を生きていないから、実感としては分かりにくい。実際のところどうなんでしょうね?

・「世界」への目くばせ

1997年、ワールドカップフランス大会に出場するためのアジア最終予選、日本代表に対する応援は異様な熱狂に包まれていた。なぜなら、5年後(2002年)に開催される日韓ワールドカップを迎えるにあたって、「一度もワールドカップ本選に出場したことのない主催国」になることをどうしても避けたかったからだ。

幸いなことに、日本代表はアジア予選を勝ち進み、1998年の本選出場を勝ち取った。しかし、終わってみれば結果は3連敗。初めてのワールドカップで、日本は「世界の壁」を感じ取った。

「世界の中で自国の立ち位置を知ること」が1998年のワールドカップを通じて得た日本の課題だった。

他方、そのころのミスチルは「世界の中で、自分たちの音楽の立ち位置を知ること」を大切にしていたと著者は述べている。1999年に出されたアルバム『DISCOVERY』が、洋楽のバンドであるレディオヘッドのアルバム、『OKコンピューター』から影響を受けていることを指摘し、ミスチルが同世代の洋楽に対する目くばせを行っていることについて言及する。

参考記事

【ミスチル】DISCOVERYから聴こえるUKロックと、OKコンピューターからの参照

・「日本サッカーの日本化」とミスチルの音楽のドメスティック化

2006年、日本代表の監督となったオシム。彼が掲げたのは「日本サッカーの日本化」でした。世界に学ぶのではなく日本のプレイヤーの特性を活かして戦うことを意識していた。

同時期に、ミスチルの音楽も、洋楽への目くばせをすることはなくなり、ドメスティックな、日本に閉じた曲調になった。具体的には、2004年のアルバム『シフクノオト』が出た段階かららしい。

この本に出てくるミスチルと日本代表のつながりに関する記述の中には、素直に納得することができないものもあるけれど(笑)、ある音楽を、スポーツを通してみるという考え方に、僕は感銘を受けた。

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