自意識と社会化のせめぎあいの中で          ~Mr.children「starting over」を読み解く~

僕はMr,childrenの楽曲が好きなのだが、その中でも特に好きな曲として「starting over 」という曲がある。

この曲は、2015年に発表された18番目のアルバム、『REFLECTION』に収録されており、細田守の映画『バケモノの子』の主題歌となっている。

多くのミスチルの曲がそうであるように、この曲にもいろいろな解釈があると思う。僕が思うに、この曲のテーマは「自意識と社会化のせめぎあい」である。

今回はそのテーマに基づいて、「starting over 」の歌詞を解釈していこうと思う。

まずは、「starting over」をお聞きください。

1番

肥大したモンスターの頭を 隠し持った散弾銃で仕留める

今度こそ 躊躇などせずに その引き金を引きたい

あいつの正体は虚栄心?

失敗を恐れる恐怖心?

持ち上げられ 浮き足立って 膨れ上がった自尊心?

さぁ 乱れた呼吸を整え 指先に意識を集めていく

僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

そう きっとその光は僕にそう叫んでる

2番

追い詰めたモンスターの目の奥に 孤独と純粋さを見付ける

捨てられた子猫みたいに 身体を丸め怯えてる

あぁ このままロープで繋いで 飼い慣らしてくことが出来たなら

いくつもの選択肢と可能性に囲まれ

探してた 望んでた ものがぼやけていく

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」

そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

穏やか過ぎる夕暮れ 真夜中の静寂

またモンスターが暴れだす

僕はそうっと息を殺し 弾倉に弾を込める

この静かな殺気を感づかれちまわぬように

今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

こうしてずっと この世界は廻ってる

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

きっと きっと

歌詞解釈 1番

ここからは、部分ごとに見ていこうと思う。

肥大したモンスターの頭を隠し持った散弾銃で仕留める

今度こそ 躊躇などせずにその引き金を引きたい

あいつの正体は虚栄心?

失敗を恐れる恐怖心?

持ち上げられ 浮き足立って膨れ上がった自尊心?

まずはこの部分から。「肥大したモンスター」を「散弾銃で仕留める」という物騒な歌詞で「starting over」は始まる。二回目のAメロで、ここで表されている「モンスター」というのが、「自尊心」、「虚栄心」、「失敗を恐れる恐怖心」などの「自意識」のメタファーであることが分かる。

この部分では、自分の中の肥大化した自意識を「仕留める」、つまり押さえつけることが明示されている。人は、ある程度のところで自意識を押さえつけておかないと、社会に適合できないからだ。

注目したいのは、「今度こそ躊躇などせずその引き金を引きたい」の部分。なぜ、モンスターを仕留めること、つまり自意識を押さえつけることを「躊躇」するのか。

その理由は、肥大化して、社会に適合しづらくなった自意識を嫌だと思うと同時に愛しているということにあるんじゃないか。

自意識は、自分の社会化されていない部分であるから、それは人とは違う部分でもある。自意識にはやっぱり、「人とは違う」ということで何らかのアイデンティティが置かれているわけだから、ある程度のところで人は自分の自意識が好きなんだと思う。

自意識が肥大化して、社会化できないのが嫌だから、自意識を押さえつけたい。でも同時に自分の自意識を愛してもいる。両義的な感情を持ち合わせているから「starting over」では「モンスター」(=自意識)を「仕留める」ことを「躊躇」する。

だから、冒頭からこの「starting over 」という曲は、「自意識と社会化のせめぎあい」を歌っているのだ。

次に進む。

さぁ 乱れた呼吸を整え 指先に意識を集めていく

僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

そう きっとその光は僕にそう叫んでる

「人とは違う」部分として愛したい気持ちもあるけど、やっぱり肥大した自意識は、一度解体しなければならない。だから、「starting over」は「僕だけが行ける世界」で、自意識を「仕留める」決断をし、内的な世界の中では「銃声が轟く」。

歌詞の「僕だけがいける世界」とは、「僕を通してみている世界」だ。世界の認識はガラスのような膜で覆われていて、それが自意識の解体と共に、(銃声と共に)割れる。崩れていく。(『暇と退屈の倫理学』的に言えば、環世界が変化していく)

そして、自意識が解体されていく中で発せられた光は「何かが終わりまた何かが始まるんだ」と叫ぶ。ここはどういう意味なのか?

これは、自意識が変容していくことを表しているのだと思う。ある特定の価値観に傾斜した自意識を解体しても、また新しい自意識が生まれる。肥大化した自意識を押さえつけると「何か(特定のものにコミットした自意識)が終わり」、それでも「また(新しい)何か(特定のものにコミットした自意識)が始まるんだ」。

「starting over」は、押さえつけられても、また別の方向に肥大する自意識を描いている。ここでミスチルは、自意識の変容をまるで吸って吐くことを繰り返す、呼吸のような動的なものとして捉えている。換言すれば、自意識の肥大と社会化のプロセスが、何度でも自分の中で繰り返される現象であるとミスチルは認識しているのだ。

内なる自意識は何度も生まれ、そして死んでいく。それと同時に、自分の外でも「何か」が始まっていく。自意識が変われば、きっと自分の行動も変わっていく。

「starting over」の一番は、「自意識と社会化のせめぎあい」を提示し、それが動的なものであることが明示されている。そして、自意識はある程度肥大化されたところで解体され、社会化されなければならないということが主張されている。

歌詞解釈 2番

では、続いて2番を見ていこう。

追い詰めたモンスターの目の奥に 孤独と純粋さを見付ける

捨てられた子猫みたいに 身体を丸め怯えてる

あぁ このままロープで繋いで 飼い慣らしてくことが出来たなら

ここでは、「モンスター」=自意識を、「仕留める」=押さえつけるのではなく、何とか守ってやることは出来ないかということが歌われている。

先ほども言った通り、人間は自意識をある程度のところで好きなわけだから、解体せずにそのままにしておきたいと思う感情だって、実際には持っているはずだ。

「モンスター」に「孤独と純粋さを見つける」のは、結局自意識をどう捉えるかということが他の誰にもできないことだから。自分だけしか、自意識を理解することができないから、「モンスター」は「孤独」であり「純粋」なのだと思う。

「このままロープで繋いで飼い慣らしてくことが出来たなら」の部分は反実仮想、つまり実際には「ロープでつないで飼いならしてく」ことができないという意味で僕は捉えた。

自意識は、コントロールすることが難しい。もし、人間が自意識をコントロールすることができたら、絶妙なバランスで自分の自意識と社会化された部分を保つことができたら、すごく生きやすくなるだろう。

風通しのいい対人関係っていうのも、自意識と社会化された部分がいい塩梅で調整されているものであるだろうし。

けれど、実際には自意識は「飼いならす」ことができない。自意識は勝手に暴走し、肥大化するのだ。だから、自意識は「仕留め」られるのだ。

2番のAメロBメロでは自意識への愛情が主に扱われていた。自意識を「仕留める」ことなく、うまくコントロールできたらいいのに、ということが歌われている。

それに続く2番のサビはこんな感じ。

いくつもの選択肢と可能性に囲まれ

探してた 望んでた ものがぼやけていく

「何かが生まれ また何かが死んでいくんだ」

そう きっとそこからは逃げられはしないだろう

2番のサビでは、「自意識を持つこと」の効用が歌われているのだと思う。

人は生きている以上「いくつもの選択しと可能性に囲まれ」る。そして、自意識を保たなければ「探してた 望んでた ものがぼやけていく」。自意識を保たなければ、選択肢と可能性を選ぶことはできない。

逆に、自分が過剰に社会化されると、無数の選択肢や可能性を選択することができない。「やりたいことがない」時、ひとは過剰に社会化された状態にある。

自意識を保持していれば、「僕だけが行ける世界」=「僕を通してみている世界」の中で、世界の中の選択肢が有限化されていく。選択肢が縮まるのは、等身大の自分の中に結局意識が収縮していくから。それによって、「探してた 望んでた ものがぼやけていく」ことなく、人は突き進んでいける。

2番のサビに込められたメッセージというのは、「ある程度は自意識を好きでいていい」というミスチルからの「許し」なのかもしれない。

「starting over」の2番は、1番で歌われていた「肥大した自意識は解体されなければならない」というメッセージに対して、「でも自意識を持つことそれ自体は重要だよね」と応答するものだった。

歌詞解釈 ラスト

最後は、ラスサビまで一気に行ってしまおう。

穏やか過ぎる夕暮れ 真夜中の静寂

またモンスターが暴れだす

僕はそうっと息を殺し 弾倉に弾を込める

この静かな殺気を感づかれちまわぬように

今日も 僕だけが行ける世界で銃声が轟く

眩い 儚い 閃光が駆けていった

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

こうしてずっと この世界は廻ってる

「何かが終わり また何かが始まるんだ」

きっと きっと

「穏やかすぎる夕暮れ」「真夜中の静寂」に、自意識は落ち着いたと思ってもまた「暴れだす」。自意識は暴走していき、肥大化する。その自意識は「銃声が轟く」と共に解体される。それは、「何か」新しい自意識を連れてくる号砲でもある。

自意識と社会化のせめぎあいの中で「僕だけが行ける世界」=「僕だけが認識できる世界」は廻っている。自意識が呼吸のように拡張し、解体されることを繰り返す。その中で、めていく世界はきっと変わっている。

1番で「肥大化した自意識を倒せ」2番で「でも自意識を持っておけ」と主張した後、最後には「自意識と社会化のせめぎあいの中で、生きていこう」と、ミスチルは決意するのだった。

以上、「starting over」の歌詞を僕なりに解釈してきた。「starting over」という楽曲は、自意識と社会化のせめぎあいの中に自分がいて、その流れの中で生きていこうという決意の曲なのだと思う。

余談

僕のバイト先の社長が、「大人というのは、エゴと社会化した部分を両立することだ」といっていた。僕はそれを聞いて、『いや、「starting over」まんまやんけ。』と思った。社長はミスチル。

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コメント

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