大学生が『夜のピクニック』に憧れて歩いて海まで行ったら地獄だった話

雑談

「歩いて海まで行ってみたい」

僕は夏休み頃からそのようなことを考えるようになった。きっかけはシンプル。『夜のピクニック』という小説を読んだからである。

例えば『夜のピクニック』の中にはこのような記述がある。

「じっと風に吹かれて海沿いの道を歩いていると、自分がこの上なく無防備な存在に思われてくる。何もない空間に向けている身体が、世界に対してむき出しになっているようで、なぜか落ち着かなくなってくるのだ。」

『夜のピクニック』

僕はこのような記述に胸を打たれ、ぜひ、実際に歩きながら夜の海を見、『夜のピクニック』的な風景をリアルな自分の体験に落とし込みたいと思うようになった。しかし、部活やらアルバイトやらで忙しく、なかなか決行する機会を掴めずにいた。

決行

実際に海まで歩いたのは、本州旅行を終え、北海道に帰ってきた10月のことだった。

その日の朝に山梨で起床してから、車と飛行機とJRに運ばれ一日かけて北海道に帰り着いた僕は、一気に長距離を移動したとき特有のぼんやりとした感覚に陥っていた。

そんな恍惚としたコンディションの中でふと、「今日ならいけるな…」「歩けるな…」という気持ちがわいてきた。

札幌駅についた時点で時刻は23時を回っており、次の日には2限があったがそんなことはもうどうでもよくなっていた。ただ、歩いて海を見に行くというイメージだけが僕の中にはあった。わかりやすくIQが下がっていたのだ。

そう決まればすぐに歩き始めるのみである。スピッツの「海を見に行こう」を聞きながらテンションをあげ、札幌市街地を出発した。しかし選曲がよくなかった。

「海を見に行こう」は恋愛関係の二人が何となしに海を見に行くという多幸感あふれる曲であるのだが、一方で僕は一人でさみしく海に向かっている。その落差に気づきテンションが下がった。

googlemapを見ると、目的地である小樽ドリームビーチまではおよそ15km、あるいて4時間ほどかかるそうだ。僕は絶対に4時間より早くついてやろうと思った。ドライブをしている時もそうなのだが、ナビに提示された時間をまくときの快楽は、移動する時特有の快感だと思う。

夜に聞くヨルシカ、エモい

スイスイと足を進め桑園、琴似の駅を抜けていく。

歩くことというのは、自分が身体を動かした時間がそのまま距離に直結するからいいなと思う。自身の行為の結果が、最もシンプルに世界に現れているような感触がある。

行動食、セコマのパスタは安すぎる

琴似の街で、朝日新聞の朝刊を積んでいる人たちを見た。時刻はこの時1:30。朝刊ってこんなに早く準備をするものなのか!?朝刊っていうか夜じゃん…。

琴似の街を抜けると、そこは工業団地であった。

「破砕」という言葉を札幌の街で見かけることはそうそうないだろう。

職質

琴似の工業団地を歩いていると、パトロール中の北海道警察に職質された。

「(車の窓を開ける)こんばんわ~。若く見えたから一応声をかけたけど、君高校生?」

「アッ…(コミュ障)いえ、大学生です。」

「あ、そうなんだ。科学大(手稲にある大学)生?家はどこ?」

「いや、北大です。家は北大の近くにあります。」

「なるほど、どうやってここまで?」

「あっ、いやあの、歩いてきました。」

「歩いてきたの!?(ドン引き)そうなんだ、暗いと車も歩行者を見つけづらいから、巻き込みとか気を付けてね~(即座に窓を閉め、車を走らせる)」

時刻は1:50。警察はこんな深夜に働いているのに、自分は何をやっているのだろうと我に返る。この時点で2時間ほど歩いており、札幌市街地を出た時のテンションはすでに失われていた。あとはただひたすら惰性で進むのみである。

深夜一人で歩いていると、24時間営業の店を見るたびに何となく落ち着く。少なくとも自分以外の人間が動いているのが分かるからだ。「自分は無人島にいったら人恋しくて死ぬな…」と思う。

「トライアルって24時間営業なんだ…」という知見を得る。

手稲、発寒、稲積公園を抜けていく。この3駅は他の駅と比べて駅の間隔が短いんだなあと思う。ふと、去年の冬、共通テストが終わった後の東京の友人と通話しながら、雪の中手稲~札幌駅間を歩いたことを思い出した。時刻は3:00。

ビーチに近づいていくにつれ、だんだんと光が消えていく。それに反比例するかのように、月の光があたりを照らしていく。ちょうどその日は満月だった。満月って結構明るいんだなあと思う。『ゴールデンカムイ』でも野田サトルが言ってたなそんなこと…。

3:30ごろ、「小樽ドリームビーチ」につく。15km歩いて海にやってきた。

国道から離れ、ただひたすら海沿いの道を歩いている。周りは暗く、自分の足音と海の音しか聞こえない。遠くで海の波の揺らめきだけがぼんやりと見えた…。

小説の描写としては、上の文章は及第点を貰えるだろう。恩田陸が『夜のピクニック』に描いた風景もきっとこんなものだったのかもしれない。しかし実際体験してみると、これが全くエモくないのだ。

だって暗いのだ。周りがほとんど見えない、。普通に怖い。意識して波の音を聞いていくと、だんだんと大きくなっていき、何かが迫っているような印象を受ける…。普通に「出る」と思った。

心霊もそうだし、野生動物が出てきてもおかしくない。ここで熊が出ても、多分誰も助けてくれないだろう。スマホの充電はビーチを1kmほど歩いた時点で切れていた。助けを呼ぶこともできない。つらい。

寒い、暗い。夢ならばどれほどよかったでしょう(米津)

そして寒い。10月の北海道をなめていた。普段生活している時も「秋になってから昼と夜の気温差えぐいな…」と思っていたが、ずっと外に居続けるとその寒さを切に感じる。僕はこの日の昼頃には本州に居たので、なお一層北海道の夜の寒さが身に染みた(むろん、悪い意味で)。

怖さを振り切るために、そして体温を上げるために、僕はしゃにむに歩いた。もう海を見て雰囲気に酔う余裕などない。ただひたすら、足を進める事しか僕にはできなかった。

這う這うの体で銭函の街にたどり着いたのは、4時前のことであった。海岸線の道路を抜けた後、すぐさまセブンイレブンに駆け込み、「銭函駅はどこですか…」と浮浪者のように聞いた。

以前、深夜のコンビニアルバイトをしている先輩が「深夜のコンビニにはやべーやつしかこない」と愚痴を言っていたが、まさに今、自分自身が「やべーやつ」になっているのだということを肌で感じた。嫌すぎる。

「このまま銭函駅の待合所で寝て、朝イチの始発で帰ろう…。」僕はそう思っていた。しかし、その儚い考えは駅に着いた途端に消し飛んだ。

駅が開いていない。

おじさん

シンプルに駅が開いていなかった。恥ずかしながら、僕は駅が「閉鎖」するということを全く考えていなかった。終電と始発の間は電車が動いてないだけで、駅構内で休むことぐらいならできるだろうと考えていたのだ。札幌駅が締まる瞬間を見たことがあるはずなのに…。完全に脳みそが退化していた。

近くに休めそうなところもない。ここから動く気力もない。こうなってしまえば、もうどうしようもない。ただ駅が開くのを待つだけである。駅が開くまで、銭函駅の手前で鎮座することを決意した。

10分ほど座っていたら、銭函駅のロータリーに一台のトラックがやってきた。そこから現場仕事を終えてきたような風貌のおじさんが下りてきて、僕に話しかけてきた。僕は札幌から海を見に歩いてきたということを話した。おじさんは笑い、親切にも、駅が開くまでトラックの後ろの席で寝てもいいと言ってくれた。

トラックの中は暖かった。僕は感謝しながらも、おじさんの親切に甘えようと思った。

おじさんはJRの線路をメンテナンスする人だった。冬期間に備えて、線路の切り替え部分が正常に動くかどうかのチェックをしているらしかった。

僕は正直眠かったが、駅が開くまでおじさんと話すことにした。何よりここで寝てしまうのはおじさんに失礼な気がした。最初はお互いに質問をぽつぽつと繰り返していたが、僕が大学で驚くほど彼女ができない話をすると、おじさんは親身になって大学での出会い方を雄弁に語ってくれた。

1時間ほどそうしていると駅が開いたので、僕はおじさんにお礼を言って銭函駅の待合所に行き、寝た。

その後、5:56分発の始発で札幌へ帰っていった。

もはやこの辺りは疲れすぎてほとんど記憶がない。覚えていることはただ一つ、車窓から見たほしみ駅付近の朝焼けが綺麗だったということだけである。

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