かりそめの親子がアメリカを横断しながら手に入れたものとは…『ペーパームーン』

映画

1935年のアメリカ中西部が舞台。主人公、アディは父が失踪し、母親が死んで天涯孤独の身になってしまった女の子。もう一人の主人公モーゼは、偽の聖書を売ってお金を稼ぐ詐欺師。ある日死んだアディの母親の友人であることを理由に、モーゼはアディを親戚の家に送り届ける命を受けます。

最初はしぶしぶアディを送るモーゼでしたが、旅を続けるにつれだんだん打ち解けてゆきます。この映画はそんなアディとモーゼの関係性を描いた、アメリカを巡るロードムービーです。

思想家の東浩紀は、著書『弱いつながり』の中で、旅を「非日常的な時間に身体が拘束される状態」だと定義しています。

いつも行かないところで、いつも見聞きしないものに触れ、いつもとは違うことを考える・・・そういった時間に自分の体を半強制的に拘束されることを旅だというのです。

『イントゥ・ザ・ワイルド』、『はじまりへの旅』、『グリーンブック』そしてこの『ペーパームーン』というような、一連の「旅」をテーマにした作品群は「ロードムービー」というジャンルに属します。

「ロードムービー」の中で展開される物語は、先ほど述べたような「非日常的な時間に身体が拘束される状態」としての「旅」の中で、人が何かを獲得する物語なのだと僕は考えています。


では、この映画でアディとモーゼが「旅」から獲得したものはなんなのでしょうか?

それは、「作り物でありながら、真実となった親子の関係性」だと僕は思います。

旅の途中で、天涯孤独のアディは失踪した父の面影をモーゼに見出します。

他方、モーゼも偽の聖書の訪問販売という詐欺活動を行う中で、親子で商売をしているていで行くのが都合がよいという理由からアディを娘として扱うようになります


しかし、アディとモーゼの実際の関係性は、あくまでアディの母親を通じての関係性でしかありません。アディとモーゼは、しょせん作り物の親子なのです。

それなのに、「非日常的な時間に身体が拘束される」旅を通じて、本当の親子のような関係をアディとモーゼは作り上げていきます。

しかも、アディの演じるテータムオニールと、モーゼを演じるライアンオニールは、実際の親子なのです!

配役上の関係性も含めて、本当の親子なのか、親子ではないのか、そんな奇妙で魅力的な関係性が、この旅では獲得されます。
そして、主題歌でタイトルにも使われた曲、「イッツオンリーアペーパームーン」はそんな二人の作り物でも本物のような親子関係を巧みに演出しています。

Say, its only a paper moon
Sailing over a cardboard sea
But it wouldn’t be make-believe
If you believed in me

そう、これはただの紙の月でしかない 

厚紙の上を疾走するような紙の月

けれど、作り物で見せかけだけのものにはならない 

もし、あなたが私を信じてくれるのならば 

(訳は自前)

作り物でありながら、真実となった親子の関係性を、奇妙なまでに切実に、『ペーパームーン』は描き出しているのです。

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コメント

  1. […] 『ペーパームーン』について […]

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