「ノスタルジーへの距離感」を測りなおすということ『ニューシネマパラダイス』

『ニューシネマパラダイス』は幼少期から映画に親しみ、有名な映画監督となって大成した主人公トトが、故郷シチリアでの映画体験、そして共に時を過ごした映画技師の老人アルフレードを回顧するノスタルジー映画である。


僕がこの映画の中で憧れたことが3つある。


一つは、映画館の暖かさ。


「映画館で映画を見る」という体験の持つ意味が、こんなにも特別な意味を持った時代があったのかと感嘆した。
今ではマナーを守って粛々と映画を見る空間である映画館だが、『ニューシネマパラダイス』に登場する映画館はそれとはかなり異なる。シチリアの小さな街にある唯一の娯楽施設である映画館の中には、歓声や笑い声が絶えることがない。
映画の見方も、観客によって三者三様に異なっている。酒を飲む人、タバコを吸う人、朝から晩まで居座る人、母乳を飲ませる人等々…それらの人々はバラバラでありながら、一つの映画に熱狂し、感想を語る。
「同じ映画を見ている」という体験は今でこそSNSでつぶやいて仕舞えば共有できてしまうが、同じ「映画館」で同じ「映画」を街の同じ「人」たちと見るという暖かい体験は、現代ではとても実現できないものなのだと思った。


2つ目に、主人公トトと老人アルフレードの関係性。
共に「映画好きであること」をきっかけに、年齢を超えて仲良くなる二人は、一口に友情とも師弟とも言えない関係性を結んでいく。
趣味を共有することでつながるトトとアルフレード。一口では言い表せない距離感を伴う彼らの関係性が輝いて見えた。


3つ目に、故郷があるということ。
僕の家は転勤族で、小学校を3回変えたりしていたので、「ずっと住み慣れた場所」というものがない。
なので、トトに対してアルフレードと過ごした故郷、シチリアがあることに半分嫉妬、半分あこがれのような感覚を覚えた。
同じ映画館で映画を見るという体験、トトとアルフレードのナナメの関係、そして故郷、この三つに僕は憧れた。


そしてもう一点、この映画の素晴らしいところに「ノスタルジー映画でありながら『ノスタルジー』を批判的に検証している」点があげられる。
この映画には、ノスタルジーについて語られたセリフがある。
「一度村を出たら長い年月帰るな。年月を経て帰郷すれば友達や懐かしい土地に再開できる」
「ノスタルジーに惑わされるな」
ノスタルジー(故郷)にどこまでひたるのか、どのように自分の時を過ごすのか、そういったノスタルジーに対する自分の距離感というものを自覚的に選択した方が良いと、老人のアルフレードは提唱している。
この映画自体がノスタルジー映画なのにも関わらず、いやだからこそ、人がノスタルジーにどう浸るべきかをアルフレードは伝えようとしているのだと思う。
文面では実際に体験させることができずむず痒いのだが、BGMが死ぬほど良い。シチリア島に行きたくなった。

Pocket
LINEで送る

コメント

タイトルとURLをコピーしました