
「闘う」老人は言った。「死ぬまで戦ってやる」
だが、いまは闇につつまれ空の明るみも陸の灯も見えず、風だけが吹いて帆が舟を引っ張っている。(p122)
『老人と海』はアメリカの文学者、ヘミングウェイの書いた短編小説である。
そのストーリーは恐ろしくシンプルだ。海釣りが好きな老人が、大物を釣り針に捉え、その大物と3日間格闘する。ただそれだけ。
それだけなのにこの小説が面白いのは、ヘミングウェイが堂々とした語り口で、海の生物と老人を如実に描き切っているからなのだろう。
老人は大海原で一人、釣り針にかかった大魚と格闘する。次第に大魚に情が移った老人は、水面下の大魚に向かって話しかける。その長期間に及ぶ精神的な対話は、次第に海と、大魚と、老人との境界線をあいまいにしていく。
ヘミングウェイは、海を語るかのように老人を記述し、老人を語るかのように大魚を記述し、大魚を語るように海を記述する。だから、この小説は老人の単なるモノローグを超えた、もっと深い、「大きなもの」に対する省察なのだと僕は感じた。
主人公の老人は、釣りのふとした最中に、過去の強かった自分を回想する。腕相撲の大会でチャンピョンになったこと、昔撃退したサメのこと…いろいろな記憶の断片が、彼に若い時の自分を思い起こさせる。
「漁師は老いていた。」『老人と海』はこの文から始まる。なぜ、老いた人物を主人公にしたのか。それは、ヘミングウェイにしかわからないが、少なくとも僕は主人公が「老いて」いなければ、海や大魚に関する深い洞察の説得力が半減していたのだろうと考える。
老人は、目をつぶりライオンが歩く砂浜の夢を見る。「ライオンが歩く砂浜」は彼にとって若き日の遠いあこがれそのものであり、海の向こうにあるものとして時間的、空間的に現在の老人とは隔たっている。これは、もちろん比喩である。しかし、比喩であっても、遠いところに放射された憧れを、もう一度つかみ取ろうとする老人の姿は、確かに輝いているのだと思う。
『老人と海』は120ページぐらいの短い小説なので、空きコマに読むのに適した小説ともいえる。この本を読んだ後、僕には海を見た時のような穏やかな気持ちが沸き上がってきた。実際に海に行くのには忙しすぎるなら、老人が一人たたずむ海を覗いてみるのもいいのかもしれない。
ヨルシカの同名楽曲『老人と海』は、この小説で提示されていた省察をより前向きな心地よいものとして昇華している。良い…(語彙)
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