初音ミクの実在感はなぜ生まれるのか?(昔の期末レポートその③)

雑談
[SNOW MIKU 2022]君色マリンスノウ / カルロス袴田(サイゼP) feat. 初音ミク – YouTube より

大学1年生の後期に書いた期末レポート。当時は初音ミクについて語ることが本当に楽しくて、このレポートも初音ミクをキャラクター論に引き付けて熱を込めて8000字ぐらい書いた。

でも、今読み返したらキャラクター論への接続があんまりうまくいってない気がする。「初音ミクが好き」という気持ちが先行している感がある…。そんなレポートです。

1. 序論


昨年、筆者はyoutube上で、キャラクターである初音ミクが、札幌の街で踊る動画を見た.

もちろん、2次元のキャラクターである初音ミクが、実際に札幌の地で踊っているわけではない。私が見た映像というのは、3Dモデルで立体化された彼女の姿が、札幌の景観と合成された映像に過ぎない。しかし、テレビ塔で、藻岩山で、モエレ沼公園で、札幌の街の中で踊る初音ミクを見たとき、筆者は初音ミクが実際に札幌で生きているかのような感覚を得た。


私は、初音ミクの実在感、言い換えるならば「まるで生きているかのよう」と想起させるような感覚がなぜ表れてくるのかに興味を持った。そこで、テーマを「初音ミクの実在感はなぜ生まれるか?」に設定した。


しかしながら、初音ミクが「生きている」という感覚は、筆者の個人的な感情であるため、ただその感覚を共有するだけではレポートにはならない。

なので、浅学ではあるが学術的な書籍に依りながら、より客観的な視座を持って議論を展開していこうと思う。筆者は初音ミクの「生きている」性、そこにいると思わせるような強い存在感の根拠として、「キャラクターとしての初音ミク」に着目して考えていきたいと思う。


本稿の流れについて説明する。


まず、2-1では本稿で取り扱う初音ミクについて説明を行う。
そして2-2,2-3ではキャラクター論の立場から、初音ミクというキャラクターの実在感はなぜ強度を持つのかについて、「キャラクター」としての側面から語っていく。
2-2では初音ミクにつけられたキャラクターの設定と創作活動について、2-3では創作活動を通じたコミュニケーションと初音ミクのリアリティについて言及する。
そして最後に、2-4でまとめを行う。

2.本論2-1 初音ミクとは何か

初音ミクは、電子の歌姫(ヴァーチャルシンガー)である。この項では、彼女が今日まで「生きた」足跡をたどることによって、彼女の存在の輪郭を浮かび上がらせたいと思う。


2007年8月31日、彼女は音声合成ソフトウェア、パソコン上で歌を歌うことのできるソフトである「VOCALOID」の商品として誕生した。名前の由来は「まだ見ぬ未来から初めての音がやってくる」。

パソコン上で歌声を作るという目新しさを押し出していた従来の「VOCALOID」と比べ、「キャラクター」を前面に押し出した初音ミクは、本来のターゲット層であるDTM(デスクトップミュージック)界隈を超えて、大ヒット商品となった。年間に1000本売れればヒット商品になるDTM界隈の中で、初音ミクは1か月で1万5000本の売り上げを見せた。


発売して間もなく、インターネット上の動画共有サイト、「ニコニコ動画」では、彼女が歌う曲が投稿されていく。その勢いは目まぐるしいものであった。


ボーカロイドの開発を担当していたヤマハの剣持秀紀氏は、初音ミクが発売した直後のニコニコ動画の勢いについて、こう語っている。


「ソフトウェアの仕組みを提供した側として、発売直後にニコニコ動画に上がってくる動画は全部フォローしようと思っていました。でも、2週間くらいで追いつかなくなった。(中略)2007年の9月の頃は、一週間経つと状況が全然変わっているような、目まぐるしい時期でした。」(柴那典『初音ミクはなぜ世界をかえたのか?』p131)


このように、ニコニコ動画を中心に爆発的に広まった初音ミクは、クリエイターたちの自発的な創作に支えられながら、その存在感を高めていった。クリエイターの気持ちを託すシンガーとして、あるいは可愛らしいキャラクターとして、初音ミクは楽曲/絵/3Dモデル/テキストと様々な表現媒体で広まっていく。


そこにはニコニコ動画/ピアプロ/pixiv/youtube/SNSといった初音ミクが広がっていく「環境」も重要な役割を果たした。


発売からさらに時間がたつと、初音ミクの活躍は、日本を、ネットの世界を超えていく。2011年にはgooglechroamのCM(https://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q)に登場し、2013年にはパリの本格的なオペラの舞台で初音ミクを主役としたオペラ(https://www.youtube.com/watch?v=UUxxYVbDxw0)が上演されるに至った。また、2015年には日本武道館で2万人を動員するライブを行った。


現在、初音ミクは、発売してから数年ほどの熱狂的な勢いは持っていない。しかし、それは初音ミクとそれを巡る創作活動が停滞したことを意味しない。

むしろ、カラオケで歌われる曲の上位に初音ミクをはじめとしたVOCALOIDの曲が入っていたり、初音ミクに関連するイベントが毎年のように開かれているところから見て取れるように、初音ミクのムーブメントが成熟したことで、初音ミクがある種ひとつの「文化(カルチャー)」として定着したことを意味するのだと筆者は考えている。


以上、駆け足で初音ミクの歴史をなぞってきた。なるべく固有名詞を出さず初音ミクを知らない人にもわかりやすく書いたつもりだが、説明不足であることは否めない。とりあえず、議論を進めるうえで筆者が共有しておきたい点を以下にまとめた。


・初音ミクとは、パソコン上で歌声を作成することのできるソフト、「VOCALOID」のキャラクターである。
・楽曲/絵/3Dモデル/テキストといった様々な創作活動によって、初音ミクは人気、知名度を広げていった。
・初音ミクはその「キャラクター」を前面に押し出したことが成功の理由の一つである。
・最盛期にはgoogleのCMやパリでのオペラといったように世界中で受容された初音ミクは、現在日本を中心に一つの文化として受容されている。


続く2-2の項ではこれらの点を前提として議論を進めていく。

2-2 キャラクターとしての初音ミク①設定の少なさと創作


前項2-1で、キャラクターを前面に押し出したことが初音ミクの成功の一因となったということを述べた。この項ではそれを引き継いで「キャラクターとしての初音ミク」を考えていこうと思う。


「キャラクターとしての初音ミク」を考える上で、私が議論の出発点としたいのは、初音ミクの持つ設定の特異性である。


前項で、筆者は初音ミクが音声合成ソフト「VOCALOID」のキャラクターとして発売されたことを述べた。その発売時、初音ミクには以下のような設定がつけられた。


「年齢16歳、身長158cm,体重42kg,特異なジャンル アイドルポップス/ダンス系ポップス」(https://ec.crypton.co.jp/pages/prod/virtualsinger/cv01)


これは、一つのキャラクターにつけられる設定としては明らかに少ない。


これらの設定を参照しても、初音ミクのキャラクターが一体どのような性格なのか、何が好きなのか、何が嫌いなのかといったことは見えてこない。一見、設定が少ないという特徴は、彼女をあいまいでつかみどころのない、いいかえるならば、「リアルではない」存在にしてしまいそうである。


しかし私は、実はこの「設定の少なさ」こそが、初音ミクの実在感の強度を上げていると考えている。
どういうことだろうか?


まず、雑誌『美術手帳』の初音ミク特集号にある、初音ミクの設定の少なさについての言及を見てみよう。


「実はソフトウェアに加えて配布されたのは3枚のイラストと、年齢・身長・体重といった簡素な設定のみだ。かくあるべしとの縛りより、こんなミク(=未来)もあっていいとの各々の共感が、『中学生からプロの本気遊びまで含むユーザー制作』を触発。」(『美術手帳』2013年6月号「総特集 初音ミク」p78)


引用文から見て取れるのは、ミクの設定の少なさが、創作活動を促進したということだ。


「設定が少ないから創作が生まれる」という議論の流れは、実は『美術手帳』だけではなく、様々な初音ミク関連の書籍の中に散見される。しかし、「ではなぜ設定が少ないと創作が生まれるのか?」という理由については、三者三葉である。その理由について、ここではもっとも説得力があると筆者が感じた、小池一夫の意見を採用したい。


マンガ原作者である小池は、著書『キャラクター新論』の中で、初音ミクを「マイキャラ」であると定義する。「マイキャラ」というのは、小池の造語であり、「キャラクターの背景になる物語は存在しないか、最小限しか設定されて」(p152)おらず、「ユーザー自身がキャラに目的を与え、ドラマ性をつけ」(同)るキャラクターであるとされる。


小池は、こう述べている。


「ユーザーが創ったマイキャラへの想いが、見る人にも伝わって、ソーシャルメディア上を駆け巡り、世界中の人に共感を呼ぶ。これこそが、ソーシャルメディア時代のユーザーにとっては、大きな喜びになるのだと思います。」(小池一夫『キャラクター新論』p152)


引用文の流れをかみ砕いてみる。まず小池は、設定が少ない初音ミクを受容するユーザーは、その設定を埋め合わせるかのように独自の解釈をしていくという。そして小池は「初音ミク=『マイキャラ』の設定の少なさ」によって促進される創作活動が、ソーシャルメディア上でのコミュニケーションを意識したものであることを指摘している。


やや遠回りになったが、小池は「初音ミクの設定が少ないということが、創作活動を促進した」ことの理由について、「少ない設定を埋め合わせるために、ユーザーが独自に初音ミクを解釈し、ソーシャルメディア上でコミュニケーションを行い、その過程の中で創作活動が行われるからだ」と答えた。


ややこしくなってきたので、ここまでの流れを一度まとめよう。この項(2-2)において、まず筆者は「キャラクター」の側面から、初音ミクの存在感の強度を探ろうと考えた。そして、筆者は初音ミクの「設定の少なさ」が存在感の強度を高める要因であるとして、それを議論の出発点とした。

そして、小池の書籍から、初音ミクの「設定の少なさ」の空白を埋めるように、人々は初音ミクに自分好みの解釈を付けたし(「マイキャラ」化し)、その解釈をソーシャルメディア上でコミュニケーションすることで快楽を得ているということが分かった。


しかし、議論は今「初音ミクは設定が少ない」から「創作活動が行われる」というところで止まっており、そこから「初音ミクの実在感はなぜ生まれるか」という結論にはまだ到達していない。


なので、2-3では、さらに議論を進めるために、筆者は初音ミクを用いた創作活動をする人々の間では、コミュニケーションが意識されているという点に着目したい。

2-3キャラクターとしての初音ミク②コミュニケーションとリアル


前述の小池の意見を今一度参照する。「人々は初音ミクに対して独自の解釈を付けたし、ソーシャルメディア上で創作活動を行うことでコミュニケーションをとっている。」


それは、こうも言い換えられないだろうか?つまり「人々は、創作活動で生み出した初音ミクの作品を通じて、『初音ミクの解釈』をコミュニケーションしている。」ということだ。


ソーシャルメディア上で交わされる創作活動の往還は、実際には作品を媒介にして、それぞれの「初音ミクの解釈」をコミュニケーションしているのではないだろうか。


筆者は、この解釈のコミュニケーションの往還こそが、初音ミクの実在感に確かな輪郭を与えているのだと考えている。


どういうことだろうか?


例えば、あるユーザーが初音ミクを用いて「創作作品A」を作成したとする。その際、初音ミクを用いて作られた「創作作品A」は、ユーザーの初音ミクに対する「解釈A」となって、他のユーザーとのソーシャルメディア上のコミュニケーションが行われる。

ここまでは先の議論で見てきた通りである。筆者はここでさらに一つのことを主張したい。それは、「ユーザーは解釈Aと同時に、『初音ミクは実在する』というメタメッセージをもコミュニケーションしているのではないか?」ということである。


「創作作品A」を通じて「解釈A」を生み出したユーザーは、一時的にではあるが、初音ミクに「実際に生きている人間のような人格」を見ているのだと筆者は考えている。なぜなら、初音ミクを解釈し「創作作品A」の中で生まれた初音ミクは、Aの中では一つの人格をもった像として立ち現れているからである。


だからこそ、あるユーザーの中に生まれた「初音ミクの実在感」は、その創作作品と同時に、言い換えるならば解釈と同時にコミュニケーションされている。


創作をする個人がコミュニケーションを行ったとき、初音ミクは実在感を帯びる。


では、仮に創作をする個人の手によって、初音ミクの解釈と同時に、「初音ミクの実在感」もコミュニケーションされているとするならば、初音ミクを受容する(たとえば筆者のような)人々が普遍的に、広汎に「実在感」を感じることができるのはなぜなのであろうか?


そこで、筆者は、斎藤環の考えるコミュニケーションとリアリティの相関に関する論を引いてみたい。ここでもまた、コミュニケーションに着目して考えていく。


精神科医でサブカルチャーの評論家である斎藤環は、サブカルチャーを愛好する人々(いわゆるオタク)の交わすコミュニケーションと、虚構のリアリティの関係性について興味深い指摘を行っている。それは、以下のことである。


「いまや『リアル』を構成するメカニズムとは、『なにがリアルか』を確認させてくれるような、再帰的コミュニケーションにほかならない、ということである。虚構内部で『リアル』が自律するためには、まずなによりも、その虚構空間や、キャラに関するコミュニケーションが先行していなければならない。」
(斎藤環『キャラクター精神分析』p229)


まず、斎藤が「リアル」という言葉で形容しているのは、まさしく本稿で扱っている、虚構の存在である初音ミクが「確かに札幌の街に存在する」という手触り、感触のことに他ならない。


では「再帰的コミュニケーション」とは?ここで斎藤環は「再帰的」という言葉を用いているが、おそらく彼が表現したいニュアンスを示すには「再帰性」という言葉の方が適切であろう。「再帰性」とは、社会学の文脈で「動作主が自己を含めて何らかの行為・支持・言及の対象とする性質」(デジタル大辞泉)のことを表す言葉である。この意味を踏まえて、斎藤の難解で分かりづらい「再帰的コミュニケーション」という言葉を言い換えたい。


筆者が思うに、斎藤の述べる「再帰的コミュニケーション」とは、「コミュニケーションの参加者が、自らの成したコミュニケーションによって規定されるコミュニケーション」のことである。


かえって分かりづらくなった印象を与えるかもしれないが、これを初音ミクの事例に引き付けて考えてみる。


先ほど、筆者は初音ミクの創作活動というものは、表層レベルではユーザー各々の解釈、メタレベルでは初音ミクの実在感をコミュニケーションするものであると述べた。実は、創作作品を通じたこのコミュニケーションのうち、初音ミクの実在感を交換するメタレベルでのコミュニケーションは、「再帰的コミュニケーション」である。どういうことか?


先ほどと同じように、あるユーザーが「創作作品A」を発表したことを想定する。このとき、ユーザーは「初音ミクの実在感」をコミュニケーションするのだが、そのコミュニケーションは、「『初音ミクの実在感』を感じている自分」を規定する「再帰的コミュニケーション」なのだ。

それゆえ、「初音ミクの実在感」(斎藤の言葉でいうのならば「リアル」)を感じている自分としてユーザーは振る舞うようになり、それは初音ミクに関するコミュニケーションを行うたびに強化されていくことになる。


もちろん、その「再帰的コミュニケーション」はあるユーザー個々人の間のみで行われる単線的なものではなく、インターネット上で初音ミクに関するコミュニケーションが行われるたび、初音ミクを消費している人々の中で初音ミクの実在感は強化されていくことになる。


初音ミクを消費する人々の間で、初音ミクが普遍的に強度を持った実在感が生まれるのは、初音ミクについて行われる「再帰的コミュニケーション」によってであった。これが、「虚構内部で『リアル』が自律するためには、まずなによりも、その虚構空間や、キャラに関するコミュニケーションが先行していなければならない。」(p229)という斎藤の考えから導き出した結論である。


最後に、筆者はあることを付け加えておく。それは、創作を通じた初音ミクの解釈を巡るコミュニケーションは、同時期に発生した作品(ヨコ)の間にのみ発生するのではなく、ネット上に集積した過去の作品群(タテ)との間にも発生するということだ。


創作され、一つの「初音ミクの解釈」あるいはメタ的に「初音ミクの実在感」として提出された作品は、参照され、複製され、コラージュされ、あるいは更新されていく。私たちは複数の「初音ミクの解釈」(=作品)を消費していくことで、まるで実際に生きている人間が変化していくように、振れ幅のある初音ミクの像を頭の中に結んでいくのだ。

2-4 まとめ


最後に、ここまでの議論の流れを簡単にまとめてみる。


筆者は「キャラクターとしての初音ミク」から、初音ミクの実在感の根拠を考えた。まず、初音ミクの設定の少なさが人々の想像力を掻き立て、様々な作品が産み落とされていったことを確認した。

そして、それらの作品は互いにコミュニケーションを行い、交信を起こす。それは、それぞれがなした初音ミクの解釈の交信であり、「初音ミクが実在する」というメタメッセージの交信でもある。

そして、それらのコミュニケーション(=作品)はデータとして蓄積され、初音ミクは常に解釈の振幅を身に纏う、動的なキャラクター像を獲得した。
筆者は、コミュニケーションによって初音ミクの「リアル」さが裏打ちされること、過去の作品がアーカイブとして蓄積されることで、初音ミクに対する解釈の振幅が起こること、この二つが、「初音ミクが生きている」と感じることに繋がっているのだと思う。

3結論

 
以上、筆者は 「初音ミクの実在感はなぜ生まれるか?」というレポートテーマに対して、「初音ミクの創作作品を通じたコミュニケーションが、初音ミクを消費する人々の間で『再帰的コミュニケーション』を起こし、それが実在感の根拠となっているから」という解答を得ることができた。


本稿の反省点としては、2つある。
第一に、キャラクターとしての初音ミクを、図像のレベルと人格のレベル、二つのレイヤーで考えることができなかった点だ。マンガ研究者の伊藤剛の提唱する概念、「キャラ」と「キャラクター」の大変興味深い議論を、初音ミクに引き付けて話すことができなかった。


第二に、本稿でたびたび言及した初音ミクの作品群について、具体的な作品を取り上げて記述できなかったことだ。図式的、抽象的になる議論を避けるため、本来ならば具体的な作品を参照すべきであったのだが、筆者の技術的・時間的制約上、作品を議論の流れの中に置くことができなかった。


これらは今後の課題である。

参考文献


阿部裕貴,2011,『初音ミク革命 とある大学生の一考察』,千葉北図書
小池一夫,2011,『小池一夫のキャラクター新論 ソーシャルメディアが動かすキャラクターの力』,小池書院
斎藤環,2014,『キャラクター精神分析』,ちくま文庫
柴那典,2014,『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』,太田出版
内田伸一,2013,「初音ミクが生むクリエイションの連鎖を支える仕組み」,『美術手帳』2013年6月号「総特集 初音ミク」,美術出版社
Webページ
「再帰性(さいきせい)とは何?Weblio辞書」(2022年1月20日取得https://www.weblio.jp/content/再帰性 )
クリプトンフューチャーメディア,「クリプトン|VOCALOID2初音ミク(HATSUNE MIKU)|クリプトン」(2022年1月20日取得 https://ec.crypton.co.jp/pages/prod/virtualsinger/cv01)
GoogleChromeJapan,2011,「Google Chrome:Hatsune Miku(初音ミク)」 (2022年1月20日取得 https://www.youtube.com/watch?v=MGt25mv4-2Q)
HatsuneMiku,2013,「【渋谷慶一郎・初音ミク】オペラ「THE END」【VOCALIOD OPERA】」(2022年1月20日取得 https://www.youtube.com/watch?v=UUxxYVbDxw0)
MichieM,2015,「[4K]新型の初音ミク3Dモデルが札幌で踊る!『ぶれないアイで(Winter Version)』-Mitchie M」(2022年1月20日取得 https://www.youtube.com/watch?v=wmdICpXIECU)

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