『天気の子』の「大丈夫」をキーワードに、新海誠の創作の源泉を解き明かす

映画

全国の映画館でIMAX上映がされたり、テレビ朝日で公開されたりと、最近注目されている新海誠の作品、『天気の子』。11/11(金)に公開される最新作『すずめの戸締り』の前作となっており、『君の名は。』に引き続き新海誠の存在感を確かなものにする作品となりました。

今回は、そんな天気の子のラストシーン「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」を考察することで、新海誠の創作の源泉を明らかにしたいと思います。

(ネタバレ注意!)

天気の子とはどのような作品か

『天気の子』は2019年に公開された、新海誠の長編アニメ作品です。高校一年生の夏、離島から東京に家出してきた主人公、森嶋帆高(ほだか)は、祈ることで天気を晴れに変えることのできる「100%の晴れ女」、陽菜(ひな)に出会います。

雨ばかりが降り続ける東京で、帆高はライターとして働く傍ら「晴れ女」の能力を利用したビジネスを始め、それを通じて陽菜と東京のことを知っていきます。

しかし、物語の後半、東京の異常気象が激化していくと、陽菜の持つ力が異常気象と関係があることが明かされます。「天気の巫女が人柱になることで、異常気象は止まる」という伝承に則り、「東京の異常気象を止めるか」「陽菜を救うか」という選択肢を突きつけられる帆高。帆高は最終的に陽菜のことを選択し、陽菜を救った代償として東京は海に沈んでしまいます。

3年後、大学進学を機に再び上京した帆高。自分の選択によって東京が海に沈んだことに責任感を感じており、自分の判断が正しかったのかどうかに悩んでいます。そんな時、水没した東京の街に向かって祈る陽菜と再会します。

陽菜と抱き合い、手を握る帆高。「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」というセリフと共に、物語は終わります。

ラストシーンに対する違和感「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」について

興行収入140万と、大ヒットをたたき出した『天気の子』。しかし、同じく大ヒットした『君の名は。』に比べて、『天気の子』の評価は分かれることが多いです。

ネットでは賛否様々な意見があふれていますが、否定派の議論の的となっているのは、先ほども紹介した帆高の最後のセリフ「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」の部分。

このセリフに対する否定派の意見として挙げられるのは

「東京が水没したのに、何が大丈夫なんだ?」

「帆高の行動が自己中心的過ぎて共感できない」

というもの。

確かに、僕も初めて『天気の子』を見た時、この「大丈夫」というセリフは、なんだかとってつけたような気休め程度のセリフなんじゃないかという印象を受けました。『天気の子』を見たという僕の周りの人も、このラストに違和感を抱いている人が多い印象があります。

しかし、新海誠のインタビューなどを見ると、この「大丈夫」というセリフには字面以上の意味が込められていることがわかりました。

ここからは、この「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」というセリフを考察することで、新海誠の意図、彼の創作の源泉を明らかにしたいと思います。

「大丈夫」のセリフはどのような経緯で生まれたか

そもそも、この「大丈夫」のセリフはどのように生まれたのでしょうか?

『新海誠の世界』という本に載っているロングインタビューには、このような新海誠の発言があります。

「大丈夫は野田洋次郎さんから頂いた言葉です。洋次郎さんと物語の終わり方について議論しながらお互い今一つ納得がいかない状況でした。

帆高と陽菜が再開して物語は閉じられるのだろうけれど、もうひとつエモーションが必要なんじゃないかと。洋二郎さんが、帆高は陽菜に何かを伝えようとするんじゃないかと言って。

それはどういう言葉なんだろう、みたいなところからその言葉を探し始めて、脚本の初稿を読んだ洋二郎さんが、そのレスポンスとして作ってくださった『大丈夫』という楽曲がヒントになり、ラストシーンが決まりました。」

『新海誠の世界』p410

ここから見て分かる通り、「大丈夫」のセリフは『天気の子』で音楽を担当していたRADWINPSのボーカル・野田洋次郎の楽曲である『大丈夫』からインスパイアされていることが分かります。

実際、このセリフが話されているバックでは、『大丈夫』の楽曲が流れています。

『大丈夫』の歌詞は以下の通りです。

世界が君の小さな肩に 乗っているのが 僕にだけは見えて 泣き出しそうでいると

「大丈夫?」ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから 「大丈夫だよ」って 僕は慌てて言うけど

なんでそんなことを 言うんだよ 崩れそうなのは 君なのに

取るに足らない 小さな僕の 有り余る今の 大きな夢は

君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫」になりたい

君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい

RADWINPS『大丈夫-movie edit-』より

歌詞と『天気の子』の物語の内容が絶妙にマッチしています。帆高が陽菜を元気づけ、自分が陽菜の「大丈夫」になるという決意のようなものを、『大丈夫』の歌詞から見ることができます。

まとめると、新海誠が「大丈夫」を採用した直接的な理由は、『天気の子』の音楽を担当したRADWINPSの野田洋次郎に刺激を受けたからでした。

しかし、本当にそれだけなのでしょうか?映画のラストを飾るこの「大丈夫」というセリフには、より深い新海誠の意図が含まれているように見えます。

ここからは、「大丈夫」というセリフに隠された新海誠の意図は別にあるんじゃないか…という僕の妄想を語っていきます。

「大丈夫」に込められた新海誠の隠された意図

僕は、「大丈夫」のセリフには、2つの新海誠の意図が含まれていると考えます。

①「議論を呼び起こしたかった」という意図

まず、「大丈夫」というセリフを採用することで、新海誠は『天気の子』で議論を呼び起こしたかったのではないかと主張します。

新海誠はこのように述べています。

『君の名は。』の次ですから、興行的にも超メジャーなものになります。であれば、多くの人々の価値観が対立するような映画を作りたい。見てくれた誰かと誰かの価値観と価値観がぶつかるような映画でなければいけない、とも考えました。

価値観がぶつかるというのは、「正解がない」ということです。教科書に書かれていたり、政治家や批評家が語るような正しさではなく、“正しさ”は人それぞれのものだし、僕たちが作るのはエンターテインメント映画なのだから、極端な言い方をすれば、正しくない内容を語ろう、いわゆる賛否の分かれるものを作りたいと思ったのです。

大きなコミュニケーションが映画とたくさんの観客との間で生まれる。それによって、人々の反応であったり、何かが“観測”できるのではないか。あるいは、僕が次に作るべきもの、みんなが本当に見たい“何か”を、そこからもらえるのではないか。これまで経験していなかったことが体験できるのではないかと考えました。今、自分は観客とのコミュニケーションに興味を持っているので、そうした姿をすごく見たいのです。

『天気の子』新海誠監督 賛否が分かれるものを作った|NIKKEI STYLE

新海誠は、『天気の子』を「賛否の分かれるもの」として作ったと言っています。賛否両論が巻き起こる映画を作ることによって、観客とコミュニケーションが取りたい。そのような考えが、『天気の子』の土台にはあります。

一方では、「世界を犠牲にしても好きな人を救いたい」という帆高の強い意志を感じさせ、他方では「自己中心的な行動を無批判的に肯定するとも捉えられる「大丈夫」という言葉。「大丈夫」のセリフが選択されたのは、観客とのコミュニケーションを図りたいという意図があってのことなのかもしれません。

(新海誠は、以前から「観客とのコミュニケーションをとること」にある程度の興味を抱いている監督であると僕は思います。

例えば、新海誠は、『君の名は。』を作った際に受けたインタビューで、自身の作劇の方法についてこのように語っています。

「どうやって観客の気持ちを途切れさせずに、かつ、ときに観客を少し置いていくような映画の時間の流れを作るかっていうのは、とにかく徹底的にやりました。」

「ユリイカ2016年9月号 特集=新海誠」p52

映画を作ることによって、観客の反応を引き起こすこと、あるいはコントロールすること。新海の作劇の方法論には、そのような要素が含まれています。)

②「バンドエイドになりたい」という新海誠の意図

「大丈夫」に込められている二つ目の隠れた意図は、新海誠自身が、観客の「大丈夫」になりたいという意図です。どういうことでしょうか?

新海誠は「大丈夫」という言葉に普通の言葉以上の価値を置いているように見えます。その証拠として、新海誠作品には、たびたび印象的なシーンで「大丈夫」という言葉が使われます。

例えば、以下のように。

『ほしのこえ』ヒロインのミカコが主人公のノボルに向かって「20世紀のエアメイルみたいなものだよ。うん、だいじょーぶ!」

『秒速五センチメートル』ヒロインのアカリが主人公の貴樹に向かって「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。」

『言の葉の庭』ヒロインの雪野先生のセリフ「ねえ、私、まだ大丈夫なのかな」「大丈夫、どうせ人間なんて、みんなどっかちょっとずつおかしいんだから」

『君の名は』主人公の瀧が三葉に向かって「大丈夫!覚えてる!」

このように、「大丈夫」という言葉は新海作品において多用されています。

だからこそ、新海誠がラストのセリフで「大丈夫」というセリフを採用したのは、RADに触発されたというのもありますが、それよりもむしろ、新海自身の「大丈夫」という言葉に対する偏愛のようなものが原因としてあるのではないかと、僕は考えます。

では、なぜ新海は「大丈夫」という言葉に重きを置くのでしょうか。僕はそこに、新海誠の創作のモチベーションがあると考えています。

新海誠がどのような動機で作品を作っているのかということについて、このような文章があります。

「新海は、自分のアニメは現実で受けた傷の治りを少しだけ早くしてくれるバンドエイドのようなものであるとよいと話している」

「ボンヤリとして満たされず、何かを希求してしまうこと。そんな些細でちっぽけで日常的な寂しさを抱えた私たちの生活は、美麗な背景とモノローグで彩られることにより、物語として語るにたるものなのだと証明される。」

「ユリイカ2016年9月号 特集=新海誠」p139,p140

ここで指摘されているように、新海は自身の作品が「バンドエイド」のようなものであればいいと言っています。現実で生きる上で受けた傷を、新海は美しい背景とモノローグによって癒します新海は自身の創作活層によって、作品を見た観客の生を肯定することを目指しています。

それは言い換えればつまり、現実で生きる僕たちに向かって、新海は作品を通じて「大丈夫」だと励ましを送っているようにも思えます。ここにおいて、「大丈夫」という言葉と、新海誠の創作の源泉が繋がりあいます。

もちろん、これは単なるこじつけではありません。新海誠自身も、「自身の作品が観客の現実生活を肯定するために作られている」のだと述べています。

「現実を生きることで傷つき悲しみを覚える人がいるとして、その「傷の治り」をちょっとだけ早くすることができると考えているというのです。」

「登場人物たちを美しい風景の中に置くことで『あなたも美しさの一部です』というように肯定する、それによって誰かが励まされるんじゃないかと思っていたんです。」

『新海誠展』p179

新海は、自身の作品によって観客の生を肯定します。「大丈夫」というセリフは、新海誠から作品を見た僕たちへの、極めて簡潔なメッセージとして捉えることが出来ます。見た人を肯定する意志によって、新海作品の魅力は支えられているのです。

そして、観客に「大丈夫」と投げかける新海誠の意図は、『天気の子』においてさらに発展したように僕は思えます。

先ほど見たRADWINPSの楽曲『大丈夫』には、このような歌詞があります。

君の「大丈夫」になりたい 「大丈夫」になりたい

君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 「大丈夫」になりたい

RADWINPS『大丈夫-movie edit-』より

これは、新海が自身の作品を、観客を「大丈夫」にするものから、観客にとっての「大丈夫」へと進化させたいという考えなのではないでしょうか。

「大丈夫」というセリフには、「観客を励ますものから、観客の心の中で絶対的な励ましを送り続ける存在へと、自身の作品を発展させていく」という新海誠の今後の所信表明のようなものではないかと、僕は思います。

(この記事を書いている最中、「大丈夫」という言葉と新海作品のつながりについて特集している記事を見つけました。その記事のリードにはこのようなことが書かれています。

『世界中のあらゆる人と人の間で起こっているコミュニケーションの本質にあるものは、「大丈夫」を送り合うことだ。気休めではない本気の「大丈夫」を伝えることは、難しい。けれど、相手に伝えることができたならば、あるいは相手から伝えてもらえたならば、世界を肯定する力に繋がる。』

【新海誠の文学世界】――過去4作の小説で表現された「大丈夫」という言葉の存在/④『小説 天気の子』 | ダ・ヴィンチWeb (ddnavi.com)

この記事においても、新海作品が僕たちの世界を肯定しているということ、そしてそのメッセージ性が「大丈夫」という言葉に結び付けられているということが書かれています。)

まとめ

以上、『天気の子』のラストのセリフ、「陽菜さん、僕たちはきっと大丈夫だ」から、新海誠の隠された意図について考察してきました。

もともとRADの『大丈夫』という楽曲によって生まれた「大丈夫」というセリフでしたが、その裏にはセリフによって、観客とコミュニケーションを起こし、観客の生を肯定するという、二つの隠された意図が含まれているのではないかと僕は考えています。

観客の生、観客が生きる世界を肯定し、「大丈夫」と投げかける存在として、新海作品は魅力的なのだと思います。

(僕がこの『天気の子』という映画を考える時、必ず思い出すのがPVで演技の下手さをネタにされている本田翼の存在である。

確かに「君の想像通りだよ」の部分の演技は下手かもしれない。しかし、他のセリフは普通に違和感なく聞こえるし、うまいと思う。なぜ、『天気の子』のPVは本田翼の一番下手な部分を切り取ってしまったのだろうか…かわいそうな本田翼…)

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