期末レポート『ラ・ラ・ランド』はなぜ成功したのか

映画

こんにちは、現役文系北大生の各駅停車です。今回は、前期の授業に書いた映画評レポートを晒したいと思います。タイトルは、「ラ・ラ・ランドはなぜ成功したか」。

ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』の成功の要因をめちゃくちゃ頑張って分析した文章となっています。2017年に日本でも大ヒットした『ラ・ラ・ランド』。僕は、その成功の要因を「過去のミュージカル映画のオマージュ」と「監督デイミアンチャゼルの作家性」に置きました。このレポートでは、そのふたつについて書いています。ぜひ読んでみてください。

(一応注意ですが、コピペはやめてください!)

ここからレポートです。

1.序論

2016年(日本では2017年)に公開されたミュージカル映画、『ラ・ラ・ランド』。公開間もないころから多くの観客を引き込んだこの作品は、映画史上に残る記録的な大成功を収めた。興業的な面でいえば3000万ドルの予算に対し、世界で4億4600万ドルの大ヒットを記録し、受賞歴でいえば第74回ゴールデングローブ賞で史上最多の7部門を獲得したほか、第70回英国アカデミー賞で6部門、第89回アカデミー賞で6部門をマークしている。

そんな成功した作品である『ラ・ラ・ランド』は、多くの成功した作品がそうであるように、ネット上の言説では賛否両論が巻き起こっている。しかし、筆者の関心はネット上で展開される議論のように、『ラ・ラ・ランド』を肯定するか、否定するかということには向かない。筆者は『ラ・ラ・ランド』の成功に対してYes/Noのどちらかを突きつけるのではなく、Whyをぶつけたいと思う。つまり、『ラ・ラ・ランド』の成功が「良いか/悪いか」ではなく、「なぜ『ラ・ラ・ランド』は成功したのか」ということを、本稿では考察したいと思う。

本稿での議論の流れを説明する。

まず、2-1において、『ラ・ラ・ランド』の成功をミュージカル史的立場から考察することによって、その成功の持つ意味をより吟味したいと思う。

そして続く2-2,2-3において、『ラ・ラ・ランド』が成功した原因について、筆者の考えを述べていく。

具体的な内容は後に譲るが、2-2においては『ラ・ラ・ランド』が過去のミュージカル映画をオマージュしていることについて、2-3においては『ラ・ラ・ランド』の監督、デイミアン・チャゼルの作家性について語ることによって『ラ・ラ・ランド』が成功した原因を探っていく。

2 本論

2-1ミュージカル映画史の立場から『ラ・ラ・ランド』を考える。

この項では、『ラ・ラ・ランド』をミュージカル映画史の中に置くことで、その成功がどのような意味を持つのかについて言及していく。

まずは、『ラ・ラ・ランド』以前のミュージカル映画の歴史を簡単に追っていこう。

1927年、ワーナーブラザーズが初の長編トーキー映画『ジャズシンガー』を公開して間もなく、『ショウボート』が公開されることによってミュージカル映画の歴史は幕を開ける。『ショウボート』は初めて本格的なストーリーを持った、人種問題をテーマにするシリアスなミュージカル映画であった。

その後、ミュージカル映画は人種問題などの社会問題を記述しつつ、歌と音楽によって多様な人々を惹きつける映画のジャンルとして認知され、急速に発展していくこととなる。

1933年には『42番街』『フットライトパレード』『空中レビュー時代』、1935年には『トップハット』と、現在名作と称されるミュージカル映画が生まれ始める。

1940年代にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)社に代表される、ジュディ・ガーラント、ジーン・ケリー、フレッド・アステアといった、有名な演者たちを登用し、それに基づいた映画を撮るという、スターシステムに立脚したミュージカル映画が撮られていくようになる。

その流れは1950年代頃まで続き、『躍る大ニューヨーク』(1949)『パリのアメリカ人』(1951)、『バンドワゴン』(1953)、『雨に歌えば』(1955)など、古典的名作が続々と生み出されていく。1950年代は、ミュージカル映画にとって最大の黄金期であった。

この頃、ミュージカル映画が映画界に及ぼす影響力はすさまじいものだった。その証左として、アカデミー賞と並び立つ映画賞であるゴールデングローブ賞は、「ミュージカルコメディ部門」を1958~1962年の期間には「ミュージカル部門」と「コメディ部門」に分けている。これは、ミュージカル映画が映画界に対して、映画賞のカテゴライズを変更してしまうほどの影響力を持っていたことを、分かりやすく示しているといえよう。

そのように1959年代には繁栄を極めたミュージカル映画であったが、1960年代の終わりごろから、その観客を失い始めていく。その理由について、町山智浩は『新世紀ミュージカル映画進化論』の中でこう述べている。

ベトナム戦争や人種対立、セックス革命などで激動の時代に、政治や暴力やセックスから目を背けて甘い夢物語を演じるミュージカルは若者たちからは保守的で古臭く見えた。(町山智浩,2017

甘いボーイ・ミーツ・ガールを前面に押し出すミュージカル映画は、当現実的ではないとして切り捨てられていった。ミュージカル映画暗黒期は、その後長い間続くことになる。

『サタデーナイトフィーバー』(1977)のような、若者向けの曲を編纂して、映画のバックミュージックとして提出する新しいミュージカル映画の形態、ジュークボックスミュージカルはヒットしていたものの、正統派のミュージカル映画は不調を脱せなかった。

ミュージカル映画の衰退ムードは、映画界の巨匠によっても止めることは出来なかった。例えば、『タクシードライバー』(1976)で当時アメリカンニューシネマの旗手として評価を得ていたマーティン・スコセッシが制作したミュージカル映画、『ニューヨークニューヨーク』(1977)は興行的に振るわず、『地獄の黙示録』(1979)で成功を収めていたフランシス・フォード・コッポラが制作したミュージカル映画、『ワンフロムザハート』(1982)は興行的、批評的にも失敗し、コッポラ監督を破産に追い込んだ。

このように、有名な監督も流れを変えることが出来ない程に、暗黒期をさまよっていたミュージカル映画というジャンルだったが、21世紀になってからはその勢いをじわじわと取り戻していく。

『ムーランルージュ』(2001)や『シカゴ』(2002)といった作品を皮切りに、多くのミュージカル映画がヒットを重ねていくようになる。一見すると、21世紀のミュージカル映画は、1950年代のかつての勢いを、完全にではないにせよ、取り戻したように見える。

しかし、21世紀になって成功した映画というのは実は、二つの流れによって支えられている。そのため、厳密にはかつてミュージカル映画が栄えた1950年代とは別の構造を、21世紀以降のミュージカル映画史は取っているのだ。

21世紀のミュージカル映画の成功は、二つの流れによって支えられている。

一つは、「成功した舞台ミュージカルの映画化」という流れ。

『シカゴ』(2003)、『オペラ座の怪人』(2004)、『RENT』(2005)、『ヘアスプレー』(2007)、『マンマ・ミーア!』(2008)、『レ・ミゼラブル』(2012)といった作品群は、全て舞台(主にブロードウェイ)で成功を収めた作品を、映画化したものである。もともと舞台で人気を獲得している作品のため、映画化されてもある程度の成功が保証されている。

また、もう一つの流れは、「ディズニーが制作するミュージカル映画」という流れ。

『ライオンキング』(1994)(リメイク版 2019)、『ハイスクール・ミュージカル』(2008)、『アナと雪の女王』(2013)、『イントゥ・ザ・ウッズ』(2014)、『美女と野獣』(2017)など、ディズニーが制作するミュージカル映画は、コンスタントに成功を収めている。もちろん、これらの作品は個々のクオリティがしっかりとしていなければ成功しなかっただろうが、その成功の下支えになっているのは、やはりディズニーというブランドの持つ力だろう。

このように、21世紀のミュージカル映画は、「成功した舞台ミュージカルの映画化」、「ディズニーが制作するミュージカル映画」という二つの流れによって、その成功を支えられているのだ。暗黒期の重力からミュージカル映画が抜け出すためには、この二つの流れがどうしても必要だった。つまり、あるミュージカル映画が作成されるとした時に、「ブロードウェイで大成功した作品」ないし「ディズニーが制作した作品」という一定の知名度、成功が担保されていなければ、そのミュージカル映画が成功することは難しくなってしまったのだ。その二つに頼らず、オリジナル原作で映画を作り、成功することは難しくなった。

では、『ラ・ラ・ランド』はどうだろうか?

2016年に公開されたミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』は「成功した舞台ミュージカルの映画化」でも、「ディズニーが制作するミュージカル映画」でもない。そう、実は『ラ・ラ・ランド』は21世紀以降に公開され、そして成功を収めた映画としては異例の「ブロードウェイ発でも、ディズニー制作でもない、完全オリジナル原作のミュージカル映画」なのだ。ミュージカル映画史的にも、『ラ・ラ・ランド』の成功は特異なのである。

マーティン・スコセッシやフランシス・フォード・コッポラという二人の巨人にすらなしえなかった、オリジナル原作作品での成功を果たした作品として、『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画史に名を残しているのだ。

冒頭で、『ラ・ラ・ランド』は興行的にも、受賞歴的にも、素晴らしい成功を収めたミュージカル映画であると述べた。しかし、今はもう一つ加える必要があるだろう。それは、「『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画史的にも意義のある素晴らしい成功を収めた作品である」ということである。

以上、『ラ・ラ・ランド』をミュージカル映画史の中に置くことで、その成功がどのような意味を持つのかについて言及していった。『ラ・ラ・ランド』はオリジナル原作の作品がなかなか成功できない21世紀以降のミュージカル映画史の中で、特異な成功を収めた作品であることが分かった。

2-2 『ラ・ラ・ランド』成功の原因①

「過去(特に黄金期)のミュージカル映画をオマージュすることによって、多くの客層を取り込んだから」

前項(2-1)で、議論の下準備として、『ラ・ラ・ランド』の成功について、そのミュージカル映画史的な立ち位置から考察してきた。

この項からは、「『ラ・ラ・ランド』はなぜ成功したか」という本稿の問いについて答えていきたいと思う。筆者が考えるに、『ラ・ラ・ランド』が成功した理由は2つある。一つ目には「過去(特に黄金期)のミュージカル映画をオマージュすることによって、多くの客層を取り込んだから」ということが挙げられ、二つ目には「デイミアン・チャゼルの作家性が発揮され、従来の多幸感あふれるミュージカルからは逸れた、新しいミュージカル映画像が視聴者を強く引き付けたから」ということが挙げられる。

この項では、一つ目の理由「過去(特に黄金期)のミュージカル映画をオマージュすることによって、多くの客層を取り込んだから」という理由を紹介していきたい。

『ラ・ラ・ランド』では、過去作品へのオマージュがたびたび指摘されている。ここでは、そのオマージュの要素を①画面のサイズ②シーン③物語構造の

大きく3つに分け、それらをひとつずつ紹介していきたい。

まずは①画面のサイズについて。『ラ・ラ・ランド』の冒頭では、「cinemascope」の文字が画面上に大きく表示される。これは、1950年代の20世紀フォックスのミュージカル大作の上映前に流されていた映像である。また、『ラ・ラ・ランド』は現在一般的に用いられているシネマスコープのサイズ(縦横比2.35:1)ではなく、1950年代の20世紀フォックスのミュージカル大作と同じシネマスコープ(縦横比2.55:1)で撮られている。

映画表現の基礎となる画面のサイズから、『ラ・ラ・ランド』は過去作へのオマージュを行っているのだ。

次に、具体的な②シーンにおけるオマージュを見ていく。『ラ・ラ・ランド』には論者によって、様々なオマージュの解釈がなされている。特にネット上では数多くの議論が蓄積されているようであり、果てには「全編がオマージュだ」と言い切ってしまう論者まで存在する。

本稿ではそうしたネット上の意見を採用することを避け、書籍で発表されているオマージュシーンについての記述から、一つだけ取り上げてみることとする。

そのオマージュシーンとして挙げられるのが、『ラ・ラ・ランド』においてミアとセブが丘の上で躍るシーン。これは、『バンドワゴン』(1953)のなかでフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの踊る「dancing in the dark」のシーンをオマージュしたものだと言われている。男女が広場に行き、踊ることで互いを知り、車(馬車)でその場を離れていくという、シーンの流れも類似している。

『新世紀ミュージカル映画進化論』の中で町山智浩はこのように述べている。

ハリウッドの丘の上でセバスチャン=セブ(ライアン・ゴスリング)とミア(エマ・ストーン)がふたりで踊る場面も、MGMのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのダンスへのオマージュだけど、単にマネじゃなくてあっちがスタジオなのに対して、こっちは現地ロケに挑戦している。

(町山智浩,2017)

このシーンのように、『ラ・ラ・ランド』は過去のミュージカル映画のシーンを丹念にオマージュしているといえる。

最後に③物語構造について。町山智浩は、『ラ・ラ・ランド』の物語構造とマーティン・スコセッシが制作したミュージカル映画、『ニューヨークニューヨーク』(1977)の物語構造が酷似していると指摘する。町山はこう述べる。

「つまり『ラ・ラ・ランド』は『ニューヨーク・ニューヨーク』と要素はほとんど同じで、組み合わせ方が違うだけなんだ。」(町山智浩,2017)

その主張を確認するために、『ニューヨークニューヨーク』の物語を見ていこう。まず、『ニューヨークニューヨーク』の主人公は楽団内でサックス奏者を務めるジミーと、同じ楽団で歌を歌うフランシーンの二人だ。ジミーは、楽団内で独創的な演奏を追求するが、その演奏は受け入れられない。他方、フランシーンは人気歌手として地位を確立し始める。成功への道を突き進むフランシーンと自分の演奏にこだわってくすぶったままのジミー。二人の関係は次第にこじれていくよううなる。ケンカが増えていき、最終的に2人は離婚する。数年後、フランシーンは歌手として成功を収め、ジミーも自分の楽団を持って好きに自分の音楽を追求できるようになっていた。成功を収めた二人はある時再開するが、お互いの気持ちを察して再び別れていく。『ニューヨークニューヨーク』はこのような物語構造を取る。

登場する男女のカップルが結婚している点、先に成功を収めるのがヒロインの方であるという点など、『ラ・ラ・ランド』の物語とは微妙に違う点もあるが、逆にそれ以外の点では『ニューヨークニューヨーク』と『ラ・ラ・ランド』は物語の要素を共有している。「『ラ・ラ・ランド』は『ニューヨーク・ニューヨーク』と要素はほとんど同じで、組み合わせ方が違うだけ」とする町山の主張は、妥当なものだと考えられる。

以上、『ラ・ラ・ランド』が①画面のサイズ②シーン③物語構造の3つにおいて、過去の(特に黄金期の)ミュージカル映画をオマージュしていることを確認してきた。

では、『ラ・ラ・ランド』は過去の作品をオマージュすることによって、どのような成果を得ることができたのだろうか?

まず、1つ目の効果として挙げられるのは、『ラ・ラ・ランド』はアメリカのノスタルジーを刺激したという効果である。これにより、『ラ・ラ・ランド』は往年のミュージカル映画ファンを大きく訴求することに成功したのだと、筆者は考えている。

かつて、ミュージカル映画の名ナンバーをまとめ、総集編として上映された映画『ザッツエンターテイメント』(1974)は、勃興期、黄金期のミュージカル映画を多く参照していることから、往年のミュージカル映画ファンに大きく愛される映画となった。『ラ・ラ・ランド』は、黄金期のミュージカル映画をオマージュすることによって、『ザッツエンターテイメント』(1974)と同じような仕方で、過去のミュージカル映画に対するノスタルジーを刺激しているのだと筆者は考えている。

また、実は『ラ・ラ・ランド』がノスタルジーを刺激するのは、過去のミュージカル映画をオマージュすることによってだけではない。「アメリカの良き時代、フィフティーズがふんだんに詰め込まれた楽しいミュージカル映画である。」(海野弘,キネマ旬報2017年3月p32)という論者の言葉通り、『ラ・ラ・ランド』の中には1950年代の名作映画、『理由なき反抗』(1955)を二人で見るシーンがある他、セブが嗜好するジャズが(1960年代にロックによって淘汰されていく前の)1950年代までの古き良きジャズに限られていたりと、1950年代(フィフティーズ)の要素が映画の中では印象的に描かれている。

このような過去のミュージカル映画に対するノスタルジー、1950年代(フィフティーズ)に対するノスタルジーをちりばめることによって、『ラ・ラ・ランド』は往年のミュージカル映画ファンにとって大きく訴求力を持つ映画となったのだと、筆者は考えている。

そして二つ目の効果として挙げられるのは、ミュージカル映画をあまり見たことがない人にも親しみやすい映画に『ラ・ラ・ランド』がなっているということである。一見すると、過去のミュージカル映画作品をオマージュすることは視聴者に対してミュージカル映画の知識を要求し、視聴の敷居を上げそうに思える。また、先ほども確認した通り、往年のミュージカル映画ファンが『ラ・ラ・ランド』に強く惹かれるのは、『ラ・ラ・ランド』に見られるオマージュを、彼らがミュージカル映画の知識によって発見していくからである。だからこそ、オマージュされている過去の作品を知らない人々にとって、『ラ・ラ・ランド』はつまらない作品に見えるのではないかという反論は、自然に考えられるものであると思う。

しかし、筆者はむしろ、『ラ・ラ・ランド』は過去の作品をオマージュすることで、かえってその視聴の敷居を下げており、ミュージカル映画をあまり見たことがない人でも親しみやすい作品になっているのだと考える。

なぜか。筆者はその主張を補助するものとして、森直人の言葉を引きたい。

『ラ・ラ・ランド』は「ファストファッション的」だと、筆者も思う。つまり20世紀のゴージャスな、神棚に置いてあるミュージカル映画を、自分たちの手の届くカジュアルな服として模倣し、とっかえひっかえ着用する感覚。(中略)

いわばバズビー・バークレーやアステア&ロジャーズといった「本物」(オリジナル)をA級だとすると、「ミュージカルもどき」の借り物(レプリカ)はB級的と称することができるかもしれない。

(森直人,2017)

森は、『ラ・ラ・ランド』を「ファストファッション的」だと称する。ハイカルチャーで、敷居の高いと思われているミュージカル映画を、『ラ・ラ・ランド』は見事に親しみやすいものへと昇華していると、森は主張する。筆者は、まさにこの『ラ・ラ・ランド』の「ファストファッション的」な側面が、過去作へのオマージュによって生まれているのだと考える。

『ラ・ラ・ランド』の中に見られる過去作へのオマージュは、ミュージカル映画の文化を分かりやすく伝える効果を持っている。そしてそれによって、『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画を知らない、ミュージカル映画に抵抗感のある人々でも、楽しめるミュージカル映画になっているのだと筆者は考えている。

以上のように、『ラ・ラ・ランド』は過去作をオマージュすることによって、ノスタルジーを刺激し、「ファストファッション的」にミュージカル映画の文化を提出した。それによって、『ラ・ラ・ランド』は往年のミュージカル映画ファンから、ミュージカル映画をあまり見たことのない人まで、幅広い客層に開かれた、魅力的な映画となったのだと思う。

補論①『ラ・ラ・ランド』が過去作をオマージュしていることに対する批判的な意見について

『ラ・ラ・ランド』が過去作をオマージュしていることに対する批判的な意見ももちろん存在する。例えば、長谷川町蔵はこのような言及をしている。

もしかすると全編が<失われたもの>への甘美な挽歌である『ラ・ラ・ランド』からは未来なんて見いだせないという映画ファンもいるかもしれない

(長谷川町蔵,2017)

確かに、長谷川の言う通り、過去作品のオマージュにまみれた『ラ・ラ・ランド』には、ミュージカル映画が今後発展していくという青写真が存在しないのかもしれない。しかし、長谷川はその批判に対して以下のような反論をする。

でも、思い出してみよう。今でこそ黄金期ミュージカル映画の代表的作品と言われている『雨に歌えば』(1952)の内容は、サイレント映画を舞台とした懐古趣味的なものであり、同時代の評価は必ずしも高くなかった。(長谷川 ,2017)

長谷川は、黄金期に制作された『雨に唄えば』と『ラ・ラ・ランド』を重ねて考える。『雨に唄えば』が懐古趣味的なものであったとしても、その後のミュージカル映画の歴史を振り返った時のメルクマールとなったように、過去を回顧して作成された作品は、新しい想像力を開いていくのだと長谷川は言っている。

また、その考えは『ラ・ラ・ランド』の監督であるデイミアン・チャゼルにも共有されているような印象を受ける。2017年1月17日、六本木のリッツカールトンで行われた取材にて、監督デイミアン・チャゼルはこのようなことを言っている。

「『雨に歌えば』に出てくる曲の大半は既に過去の作品で使われていたものなんだ。でもそうやって新しい命が吹き込まれてることで、ミュージカルはより大きな円でつながっていく。『ラ・ラ・ランド』の過去作への向き合い方はまさに理想的だね」(キネマ旬報2017年3月号,p18)

デイミアン・チャゼルは、『雨に唄えば』で、過去の映画で使われていた曲が登場することにより「新しい命が吹き込まれ」たのだと述べる。そして、『ラ・ラ・ランド』の過去作に対する態度が、『雨に唄えば』を参照しながら「理想的」なものであったと振り返る。

以上の二人の意見を根拠に、筆者は「失われたもの」(過去のミュージカル映画、あるいはミュージカル映画の黄金期)への想像力は、決してミュージカル映画が新しい展望を開けないことを意味しないのだと考える。むしろ、『ラ・ラ・ランド』が過去作を参照したことによって、ミュージカル映画というジャンルに新しい想像力が広がっていくのだと筆者は考えている。『ラ・ラ・ランド』が過去作をオマージュしていること自体を、筆者は肯定的に捉えている。

補論②ネット上で展開されている『ラ・ラ・ランド』が過去作をオマージュしているという指摘について

先述した通り、ネット上では『ラ・ラ・ランド』に対して様々なオマージュの解釈がなされている。

例えば「『ララランド』がオマージュしたミュージカル映画とのシーン比較」 (online:http://artconsultant.yokohama/lalaland-hommage/))という記事においては、『ラ・ラ・ランド』のエピローグが『雨に唄えば』(1952)の「gotta dance」「broadway melody」、『ブロードウェイメロディー』(1940)の「Begin The Beguine」をオマージュしていると指摘している。他にも、冒頭、ミアが車でロサンゼルスに入り、「another day of sun」のナンバーが流れるシーンは『ロシュフォールの恋人たち』のプロローグ、ミアが訪れたパーティのプールシーンは『怒りのキューバ』と『ブギーナイツ』、セブとミアがプラネタリウムの星空をバックに踊るのは『眠れる森の美女』の「once upon a dream」へのオマージュだという指摘がされている。

実際に『ラ・ラ・ランド』が指摘されている過去作をオマージュしているかどうかの真偽は定かではないが、少なくとも様々な人々が『ラ・ラ・ランド』を見て、このようにネット上で三者三様にオマージュを指摘しているという事実を、筆者は強調したい。

2-3『ラ・ラ・ランド』成功の原因②「デイミアンチャゼルの作家性が発揮され、従来の多幸感あふれるミュージカルからは逸れた新しいミュージカル映画像が、視聴者を強く引き付けたから」

この項では、『ラ・ラ・ランド』が成功した二つ目の理由として、「デイミアンチャゼルの作家性が発揮され、従来の多幸感あふれるミュージカルからは逸れた新しいミュージカル映画像が、視聴者を強く引き付けたから」という理由を紹介していきたい。

筆者が考えるに、ミュージカル映画の結末というのは、「恋愛も、成功も、両方掴んでハッピーエンド」という多幸感あふれるものになりがちである。

例えば『雨に歌えば』(1952)では、ラストでヒロインがスターとして認められ、成功への階梯を上ることが示唆された後、ジーンケリーと結ばれて幕を閉じる。また、『バンドワゴン』(1953)でも落ちぶれた映画俳優(アステア)が舞台によって成功を収め、その後シドチャーリーと結ばれて終わる。その他にも、『ラ・ラ・ランド』の翌年に大ヒットしたミュージカル映画『グレイテストショーマン』(2018)やディズニーの制作するミュージカルなど、ミュージカル映画=ハッピーエンドという図式は、多くの人々に共有されているように思われる。

しかし、『ラ・ラ・ランド』はそうではない。『ラ・ラ・ランド』は「恋愛も、成功も、両方掴んでハッピーエンド」というミュージカル映画ではないのだ。女優を目指すミアと、ジャズで成功を収めたいセブ、二人の夢は物語が進むにつれて叶っていくが、それに反比例して二人の関係はうまくいかなくなっていく。『ラ・ラ・ランド』は「恋愛も、成功も」という多幸感あふれるミュージカル映画からはそれた形を取っているのだ。

筆者は、このようにミュージカル映画の定式から逸れた形を『ラ・ラ・ランド』が採ったことが、ミュージカル映画=ハッピーエンドという図式を持っている視聴者にある種の新鮮さを与え、視聴者を引き付けることに成功したのだと考える。「恋愛も、成功も」という夢物語ではなく、「恋愛か、成功か」の二者択一を迫る『ラ・ラ・ランド』は、視聴者のミュージカル映画像に異化作用を起こし、他のミュージカル映画では体験できない快感を提供したのだ。

『ラ・ラ・ランド』がそうした「恋愛も、成功も、両方掴んでハッピーエンド」という従来のミュージカル映画の図式を採用しなかった背景として、筆者は監督デイミアン・チャゼルの作家性を指摘したいと思う。『ラ・ラ・ランド』において、デイミアン・チャゼルは「アーティスティックな自己実現と恋愛は両立しない」というメッセージ、「音楽で成功するには恋愛を捨てないといけない」というメッセージを提示した。筆者は、このようなメッセージ性が、デイミアン・チャゼルに通底する考え方、作家性なのだと考えている。

例えば、ハーバード大学で映画を学んでいたデイミアン・チャゼルが卒業制作で作った作品で、『ラ・ラ・ランド』の原型ともいわれる『ガイとマデラインが公園のベンチで(Guy and Madeline on a Park Bench)』(2009)を見てみよう。主人公のガイは、有望なジャズトランペッターである。作中ガイは何度もガールフレンドを変えるのだが、それは決まって彼が自身の音楽を追求することで問題が起きるからなのだ。イリーナという女性と別れた理由は、狭い部屋の中で朝からトランペットの練習をしていたからである。

(『新世紀ミュージカル映画進化論』第一章 天才監督デイミアン・チャゼル論,町山智浩,p32を参考にした)

このように、自分の夢を追いかけるあまり男女間の仲がこじれていく部分が、『ラ・ラ・ランド』と共通している。

また、次に『ラ・ラ・ランド』の前にデイミアン・チャゼルが作った作品、『セッション』(2014)を見てみよう。主人公は名門音楽学校に通っている。ジャズドラムで成功するために、学校のスパルタ教師と共に日々練習に励む。主人公は、ある日映画館でナンパをして、恋人を手にいれる。序盤は、恋愛と音楽での自己実現(ドラム)が両立しているように見えたのだが、学校の最上級クラスのメンバーに選ばれてから、その歯車は狂い始める。主人公は持っている時間のすべてをドラムに捧げるようになり、結果的に「恋愛に時間を使っている暇なんてない」と恋人に告げ、別れてしまう。

『ガイとマデラインが公園のベンチで』『セッション』どちらにも、音楽での自己実現を目指すことで恋愛に失敗する人物が登場する。そのあり方は、『ラ・ラ・ランド』のミアとセブに近しい。

「アーティスティックな自己実現と恋愛は両立しない」という、デイミアン・チャゼルの作家性によって、確かな裏打ちを持って『ラ・ラ・ランド』は作られた。だからこそ、『ラ・ラ・ランド』は従来のミュージカル映画像と離れた展開であっても、説得力のある新鮮なミュージカル映画像として自立したのだと思う。

この項をまとめよう。『ラ・ラ・ランド』はミュージカル映画でありながら、「恋愛も、成功も」どちらも手にする多幸感あふれるミュージカルの形からは乖離している。「アーティスティックな自己実現と恋愛は両立しない」というメッセージ性が、視聴者の中にあるミュージカル映画の枠組みを異化させた時、『ラ・ラ・ランド』は新鮮さをもって、視聴者の前に立ち現れる。そうした新鮮さが視聴者を引き付け、『ラ・ラ・ランド』は成功を収めたのだと考える。

結論

以上、『ラ・ラ・ランド』はなぜ成功したのかという問いに対して筆者の見解を述べてきた。

『ラ・ラ・ランド』は興行的にも、批評(受賞歴)的にも、ミュージカル映画史的にも、特異な成功を収めたミュージカル映画である。

その要因には、過去の作品をオマージュすることで、多くの観客を惹きつけたことと、デイミアンチャゼルの作家性がミュージカル映画というジャンルにおいて新鮮だったことが挙げられる。

『ラ・ラ・ランド』(2016)以降も、『グレイテストショーマン』(2017)『インザハイツ』(2021)など、ヒット作が続いているミュージカル映画。映画の楽しみ方が「画」や「音」を楽しむという初期映画的なものに回帰しているように思える現在、「画」や「音」を用いて視聴者を引き付けるミュージカル映画というジャンルには、明るい未来が見えているのではないかと、筆者は考えている。

参考文献

『新世紀ミュージカル映画進化論』町山智浩,「第一章 天才監督デイミアン・チャゼル論」,映画秘宝編集部,2017,『新世紀ミュージカル映画論』,洋泉社,p9-p40

『新世紀ミュージカル映画論』森直人,「第2章『ラ・ラ・ランド』に流れる「普通さ」の正体」,映画秘宝編集部,2017,『新世紀ミュージカル映画論』,洋泉社,p41-p54

『新世紀ミュージカル映画論』,長谷川町蔵,「第5章「ミュージカル映画」,70年代からの苦難と復活」映画秘宝編集部2017,『新世紀ミュージカル映画論』洋泉社,p95-p106

2017,『キネマ旬報2017年3月号 巻頭特集 ‘聖林の夢’の続きへ!「ラ・ラ・ランド」ミュージカル映画に愛をこめて』,キネマ旬報社

Web

宮川翔,2017「『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督が語る、ジャズと映画の関係」, Real Sound (online:

『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督が語る、ジャズと映画の関係
第89回アカデミー賞で最多13部門14ノミネートを果たしている、『セッション』のデイミアン・チャゼル監督が手がけたミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』が、2月24日に公開される。『ドライヴ』のライアン・ゴズリングと『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のエマ・ストーンが共演する本作では、…

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『ララランド』がオマージュしたミュージカル映画とのシーン比較 - アートコンサルタント/ディズニーとミュージカルのニュースサイト

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