自分を構成する最低限のものってなんだろう『シネマと書店とスタジアム』

  • この本は、こんな人におすすめ
  • じんわりと胸に来る書評、映画評を読みたい人
  • 静かに重く語られるスポーツルポを読みたい人

生きていくうえで最低限必要なものとは何だろう?食べ物、住居、お金といったものだろうか。いや、本当に必要なものはそんなものではないはずだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」。著者の沢木耕太郎にとって、それは『シネマと書店とスタジアム』だった。

誰にも「それさえあれば」というもののひとつやふたつはあるような気がする。釣りさえできればという人もいるだろうし、音楽さえ聴ければという人もいるだろう。(中略)私なら、とりあえず映画と書物とスポーツのゲームがあれば、と言うかもしれない。

(p324「あとがき」より)

沢木はそのような考えを元に、映画/本/スポーツについての、99篇の評論を描いていく。

紀行文、『深夜特急』を読んだ大学一年生の秋から、僕は沢木耕太郎のファンだった。僕がファンになった理由は、沢木が『深夜特急』の中で、陸路でユーラシア大陸を横断するというぶっ飛んだことをしていたからということだけではない。僕は、沢木の文章に強く惹かれたのだ。

沢木の文章は、穏やかで、落ち着いている。仰々しく語るのでもなく、叫ぶように感情を吐露するのでもない。その文章には、静かに語られる重い言葉がある。

特に『シネマと書店とスタジアム』の中で沢木の才能が現れているところは、99篇の評論にそれぞれつけられた「タイトル」にあると僕は思う。

「彼女たちは銃を抜くようにして扉を開ける」「時間の流れと逆に張られたアルバムをめくっていく」「声は低いが自信に満ちた意義申し立て」「彼には「終わりつつある者」の優しさがあった」「僕たちは「心で泣いて」プレイすることはもうできない」「ひとつのメロディーが人々の運命を支配したという」

このように、ついついページを開きたくなるタイトルのつけ方がされている。このようなタイトルに続く沢木の文章も、もちろんじんわりと体の中に入ってくるような文章をしている。そのじんわりとした感触は、やけどを冷やす時に肌の表面に伝わる感覚に近い。

なぜ、沢木はこのような文体をもって、映画や、本や、スポーツを味わうことができるのだろうか。僕は、それこそ沢木が「生きる上で最低限のもの」として「シネマと書店とスタジアム」を選んだからなんじゃないかと思った。

この本を読み終えた時、「では、自分にとって、生きるために必要な最低限のものは何だろう?」という疑問がわいた。大人になるにつれ今後変わっていくにしても、沢木と同じように「シネマ」と「書店」は必要になってくるだろうというのが、今の僕の答えである。

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