自分の一時間って、いくらなんだろう『三日間の幸福』

現在、北海道の最低賃金は900円である。今はやめてしまったが、僕が初めてバイトをした居酒屋も時給は900円だった。

アルバイトの仕組みは、一見すると単純なものである。雇用された店に対し僕たちは労働力を提供し、その対価として僕らはお金をもらう。このようなシンプルな取引がアルバイトでは行われているように見える。

しかし実際には、僕たちは労働力とは別に、自分の人生の時間を1時間ずつ提供している。労働力と一時間。それの対価として、僕の雇用主である居酒屋は、僕に900円を渡していた。

バイトをやり始めた初期のころ、僕はモノの値段を時給換算で考えるようになっていた。例えば、クラーク亭のから揚げ定食は850円だから、「大体バイト一時間分だな」とか、フライパンを買う時にも「うわ、これバイト一日分かよ…高いな」というようなことを考えていた。

バイトに慣れていくにつれ、次第に居酒屋で働くことがわりに合わないと感じるようになってきた。「自分の一時間が900円って、安くないか?」と、当時の僕は不遜ながら考えていた。

「実際、自分の一時間っていくらぐらいの価値がつくものなんだろう?」

そんな風に考えていた時出会ったのが、『三日間の幸福』という小説だった。

『三日間の幸福』は、大学生が寿命を売る話だ。

主人公は一人ぐらし。アルバイトをしながらその日暮らしで細々と生きている大学生。貧乏な生活と、暗い将来の見通しに絶望した主人公は、町のはずれに「寿命を買い取ってくれる」店があるという噂を聞く。

実際に店に赴く主人公。店員は寿命の査定額について「残りの人生で、どれだけ幸せになたり、人を幸せにしたり、夢を叶えたり、社会に貢献したりすることになっていたか、といった基準をもとに、査定額を決めている」(p59)のだと語る。

要は、残された「時間の価値」を、店側はお金によって計測する。

主人公は寿命…つまり自分がこれから過ごす時間を結果的に売ってしまう。主人公の寿命につけられた査定金額は、一年につき一万円という悲惨なものだった。

残りの人生を30年売り払った主人公は、30万円を手にし、残り三カ月というわずかな期間を少しでも充実させようと動き始める。『三日間の幸福』はこのような話だ。

死を目前にした主人公の心象風景は、穏やかでありながら深い諦念に満ちている。自分の過ごした時間に価値がないことに気づいた人間が、どのように振る舞うのかというのが、この本では鋭い想像力を持って描かれていのだ。

『三日間の幸福』では、時間の価値がテーマとして扱われている。社会に如何に貢献しているか、知名度はどれくらいなのか、そういった社会的な価値観に基づいて、一人の人間の過ごす時間の価値が測定される。

これは、同じく時間の価値をテーマとして扱った小説、『モモ』とは対照的なアプローチである。

『モモ』について

大学2年生の4月、僕は時計で時間を測ることをやめた『モモ』

『三日間の幸福』が社会的な指標から人間の時間の価値を測るのに対して、『モモ』はあくまでその人自身が過ごした時間についてどう感じているのかを指標としている。

僕が働いていた居酒屋も、社会的な指標によって時間の価値を測っていた。「その人がどれくらい店に貢献しているか」をきちんと計上して、算出されたのが900円という一時間の価値だった。

『三日間の幸福』的なアプローチと、『モモ』的なアプローチ、どちらによって時間を測るべきなのか、どちらによって自身の時間を測るべきなのか、今は判断がつかない。

けれど、自身の過ごしている時間が一体どれくらいの価値を帯びているのかを考える上で、『三日間の幸福』を読むことはすごく役に立つのだと思う。

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