映画『リズと青い鳥』は、二人の関係性が終わる予感をじわじわと感じさせながらも、それでも残るものを掴み取ろうとしている。

映画

大学受験と最後の吹奏楽コンクール、二つの大事な局面に差し掛かった高校三年生二人が、それぞれ自分や他人と向き合うことで成長していく京都アニメーション制作の青春アニメ映画、それが映画『リズと青い鳥』だ。

この映画を端的に一言で表すのなら百合、つまり少女同士の恋愛関係を描いた作品だ。それも現実にはありそうにもないタイプの百合。「こんなの全部、女子高生がイチャイチャしているのが好きなオタクの妄想じゃん」と言われてしまってもおかしくないような関係性を描いている。すごい嫌な言い方をすると。

でも、僕はこの映画を「オタクの妄想」といったような一言で一蹴することができなかった。というか感動して泣いた。

僕には高校生の妹がいるので、実際の女子高生がこの映画で描かれているような感じではないことは身に染みて分かっている。

でも、僕は現実の女子高生像にそぐわないからといってこの映画に描かれている百合を否定できない。実際に女子高生はこんなのではないって分かってる。そういう意味では全然リアルじゃない。でも何だろうこの二人の間のみずみずしさ、いやみずみずしさじゃない。うまく言語化できないのがつらい、何か二人の関係性の間から迫ってくるものがあるんですよ。言葉にできない・・・

ただ、この映画の良さについてはっきりと断言できることはある。それは「キャラの感情の機微を巧みに表現できる京都アニメーションの背景の素晴らしさ」についてだ。

以前どこかで読んだ記事に、「日本のアニメには風景のレイヤーとキャラのレイヤーで二極化が進んでいる」という内容のものがあった。(たしか「ユリイカ」の新海誠特集だったような)

近年、デジタル加工技術(写真の取り込み)が進んだことを主な原因として、アニメの背景は新海誠や細田守監督作品に代表されるようなどこまでも写実的で、リアルよりもリアリティを感じることのできる背景へと進化している。

他方、キャラクターの描画にはそういった写実性を追求する動きがない。むしろよりコンパクトにデフォルメされたキャラクターの写像が追求されている。

「風景のレイヤーとキャラのレイヤーの二極化」というのは、風景がどこまでも綺麗で写実的なものを志向する一方で、キャラクターの図像はデフォルメされた簡素なものが志向されている現代アニメの状況のことを言うのだ。

では、なぜ風景とキャラの間で方向性の乖離、二極化が起こっているのだろうか?

それは、アニメの風景がキャラの内面を託すものとして進化したからだ。

文芸批評家の柄谷行人は、著書『日本近代文学の起源』の中で、近代文学における「風景」の在り方を描いている。

それは、近代文学以降の「風景」は、歴史的、土着的な文脈から離れた、登場人物の「内面」と結びついたものとなったというものだ。

僕は受験の時、国語の教師から「小説の風景は登場人物の気持ちと結びつく」と口酸っぱく言われた。国語の教師が言っていた風景は、柄谷行人のいう「内面」と結びついた「風景」のことだろう。

そして思想家の東浩紀は、柄谷行人の「風景」論をアニメに持ち込む。
東浩紀によれば、アニメ作品における「風景」、つまり登場人物の「内面」と結びつけられる景色は、アニメの背景なのだという。

デフォルメされ、記号的なキャラクターの「内面」をより追求するために、近年のアニメでは写実的でリアリティのある背景が映し出される事になったのだと東は述べた。

確かに、デフォルメされたキャラクターの顔で、実写作品のような感情表現を行うのは難しい。だからこそ、アニメの背景はキャラクターの内面を「託す」ものとして進化したのかもしれない。

以上より、近年アニメで「風景のレイヤーとキャラのレイヤーで二極化が進んでいる」理由として、「キャラクターの繊細な感情を映し出すために、背景が劇的に発達したからだ。」と答えることができる。

ここでようやく『リズと青い鳥』の話に戻るのだが、『リズと青い鳥』は、そういった進化した現代アニメの背景によって、登場人物の感情の機微を表現することに大いに成功している作品と言える。

『リズと青い鳥』では、高校三年生の夏、大学受験や最後のコンクールに向き合う上での、主人公二人の気持ちのあり様が、京都アニメーションによる美麗な風景によって極めて如実に表現されている。


全編にわたって静謐な雰囲気のあるこのアニメは、その美麗な背景の効果によって、二人の関係性が変わっていってしまうという「予感」をじわじわと感じさせながらも、それでも二人の間に残るコミュニケーションの履歴や、過ごした時間を掴み取ろうとしている。

そういった感情の機微を巧みに表現できるのは、やはり京都アニメーションの作画があってこそのことなのだと思う。

この映画は『響け!ユーフォニアム』という作品のスピンオフ、外伝的な立ち位置を取っているが、この映画単体だけでも十分に楽しめると思う。僕は『響け!ユーフォニアム』を見ていなかったが、余裕で泣けた。尊い…。

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