俺がしまりんだ 映画『ゆるキャン△』雑感

新宿ピカデリーにて

『ゆるキャン△』は、山梨県近郊を舞台に女子高生5人がキャンプによって繋がる日常系の作品である。

登場人物たちのほのぼのとしたコミュニケーションと、実際に自分もやってみたくなるくらい鮮やかなキャンプ描写が魅力的であり、アニメ化をきっかけに大ヒットした。

映画『ゆるキャン△』は、そんな人気シリーズのはじめての映画作品である。

ゆるキャン△ファン歴4年の僕は、今作の公開を非常に楽しみにしていた。

そして、実際に映画を見た。予想通りのベクトルのものが、予想以上のクオリティで来た。最高かよ…2000円でも見れる。

思ったことを3つに分けたので、それぞれ語っていきます。

①映画館の音響、気持ち良すぎだろ!

まず最初に感じたのは、映画館の音響の良さ。木のざわめきや焚き火の音が、立体的にキャンプ場の雰囲気を引き立てる。

この映画のキャッチコピーは「映画館で野外活動」だか、まさに映画館だからこその雰囲気がそこにはある。

亜咲花、佐々木恵梨、立山秋航と、『ゆるキャン△』お馴染みのメンバーが奏でる野外活動の音は、本当に心を落ち着かせる。

特に立山秋航のbgmがいちいちじんわりと胸に染みる。

立山秋航の「キャンプ場で演奏できる曲」にとことんこだわった音作りには、卓越した才能を感じる。

音響の素晴らしさが十分に表れていて、映画館で見てよかったと、まず思った。

↓この動画には、「キャンプ場ごとの色を音にする」という立山の異常な才能が紹介されている。

②女子高生から大人へ、一方で維持され、一方でアップデートされた物語のテーマ

入場特典13.5巻

僕が思うに、漫画原作の『ゆるキャン△』のテーマは「キャンプが好きだという純粋な気持ちを軸にした、緩やかなコミュニケーション」だ。

『ゆるキャン△』の原作は、高校生がキャンプを通じて緩やかにつながる関係性を丹念に描いてきた。

僕たちが『ゆるキャン△』を見て安心した気持ちになるのは、なによりも登場人物たちの緩やかな人間関係が、心地よいものとしてあるからなのだと思う。

原作の『ゆるキャン△』では、「キャンプ」という共通の趣味を軸に、キャラクター達がコミュニティを形成していた。

それは、高校生である彼女達の「キャンプを好きである」という純粋な気持ちを根拠に置いたものであった。

しかし、映画の『ゆるキャン△』は原作と少し趣向を変えている。それは、登場人物が大人になっているという点だ。

キャラクターたちはそれぞれ仕事を持ち、それぞれの仕事場でそれぞれの責任を抱えている。

だから、高校生だった頃と違い、キャラクター達のコミュニティ形成の軸となるのは、ただ純粋な「キャンプが好き」という気持ちではあり得ない。

仕事を充実させることや、社会人としての責任感といったものが、人間関係の緩やかな繋がりの中には入り込んでくる。

だからこそ、登場人物が女子高生から大人になるという予告を見たときに、僕は大丈夫だろうかと思った。

「キャンプを好き」だという純粋な気持ち本位で、彼女達が緩やかにつながることはもうできないのではないか…と不安だったのだ。

しかし、映画『ゆるキャン△』は、上手に女子高生から大人になって変化するコミュニケーション形態を、一部を保存しながら、上手にアップデートすることに成功していた。

映画『ゆるキャン△』では、「気持ち本位」から、「仕事の責任感」本位への、コミュニケーションのアップデートが行われている。

しかしながら、彼女たちが「キャンプを好き」でなくなったかと言われたらそれは全くの誤りだ。

コミュニケーションの軸を「仕事の責任感」としながらも、キャラクターたちのキャンプが好きだという気持ちは、全く消えていない。

キャラクター達が高校時代に行っていたような、純粋な、利害の絡まない気持ち本位のコミュニケーションは物語の背面に退行した。

しかし、それは彼女たちがもはや緩やかな人間関係を形成できなくなったことを意味しない。

むしろ、「キャンプが好き」だという登場人物の共通項が、高校生の時から大人になるまで残り続けているからこそ、キャラクターたちは仕事の責任感だけを根拠に形式的なコミュニケーションをすることを避けている。

キャラクター達は、気持ち本位のコミュニケーションを高校生時代に積み重ねている。

その積み重ねは、仕事上でのコミュニケーションの潤滑油となり、またそのコミュニケーションをドライブさせるものでもあるのだ。

登場人物の1人であるなでしこが、「女子高生じゃなく、大人になったからできるようになることがある」と主人公のしまりんに主張するシーンがある。

女子高生から、大人へ。気持ち本位から責任感本位へのコミュニケーション形態の移行。

原作の『ゆるキャン△』から映画『ゆるキャン△』の間には、このような流れが存在している。

それでも、映画『ゆるキャン△』はこの作品全体の魅力である緩やかな人間関係を決して放棄しない。

むしろ、その緩やかな人間関係を維持したまま、大人になったからこそ、コミュニケーションの形態が変わったからこそできることを、キャラクター達は探っていくのだ。

③俺がしまりんだ

聖地巡礼した時の写真

僕は、『ゆるキャン△』のキャラクター、しまりんがとても好きだ。

高校に入ると同時にそのかわいさに取り憑かれた僕は、ひたすらアニメを見、グッズを買い漁った。

近くにアニメショップがなかったので、わざわざ新宿や池袋のアニメイトまで行ってしまりんグッズを買っていた。

高校時代から今まで、僕はしまりんになるために生きてきたといっても過言ではない。(過言)

例えば、しまりんに憧れてキャンプ道具一式を揃えた。バイクでキャンプに行くしまりんを見習って、大学一年生の時バイクの免許を取った。

そして、親に借金して、大学二年の初めにバイクを買った。

そんな僕が、映画を見ていて嬉しかったことは、映画『ゆるキャン△』でしまりんが仕事としてメディアの仕事をしていたということ。

僕も現在アルバイトで似たようなメディア関係の仕事をしているので、「企画を立てても通らない」「ライティング作業が滞る」といったしまりんの気持ちが結構わかる。

しまりんが仕事で落ち込んでいたら僕も悲しいし、逆に仕事で認められている時は自分のことのように嬉しい。

俺が、俺がしまりんだ…。

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コメント

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