今年は、子供のような気持ちで実家に帰れるかもしれないということ『夏の庭』

子供の頃、実家に帰ることは今よりも楽しかった。ワクワクした気持ちで、高速を走る父親の車に乗せられていた。

小学生くらいまで、父方の祖父の実家に帰ることは夏休みの楽しみの一つだった。

祖父母はやさしいし、お小遣いはもらえるし、何より祖父母や父の記憶がべったりと張り付いている土地で過ごすことが心地よかった。

しかし、歳をとるにつれ、実家に帰る楽しさはなくなることはないにせよ、次第に自分の中で減っていった。

それは多分中学生ぐらいから。帰省は「夏休みの楽しみ」としてワクワクしながら行く行事から、部活や受験勉強の合間に行く休暇へと変わった。

しかし大学二年生の今、僕は今年の夏の帰省を子供の頃のようにワクワクした気持ちで過ごすことができるのではないかと感じている。

それは、湯本香樹美の小説『夏の庭-the friends-』を読んだからだった。

季節は夏。舞台は東京。3人の小学生と1人のおじいさんが、ある夏休みに出会うところから話が始まる。

きっかけは、3人の小学生の会話から。3人のうちの1人が、親戚の葬式に出席した話をする。

その話は「人が死ぬところ」を見たいという会話へと転がっていき、もう1人の小学生がある提案をする。

それは、「町外れの家に住む老人の、死に様を見ないか」という提案だった。

町外れの家にすむおじいさんは、生ける屍のような存在だ。コンビニのご飯を食べ、一日中こたつでテレビを見るという生活を過ごしていた。

おじいさんの住む家は、寂れている。ゴミが溜まり、窓ガラスが割れ、外装の壁は剥がれてしまっている。

小学生たちはそんなおじいさんを観察するようになる。夏休みに、毎日家を覗きにくる小学生を鬱陶しく感じるおじいさんは、その小学生たちを邪険に扱う。

コンビニ帰りに後ろからついてくる小学生には軽蔑した眼差しを向け、小学生が家を覗いているときは水をかける。

しかし、その振る舞いには「死」を間近に控えたものの、不器用な優しさがある。

おじいさんは、時おり小学生に自身の思い出を語る。僕が『夏の庭』で特段好きなのはこの部分だ。

「もしかしたら、歳をとるのは楽しいことなのかもしれない。歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから」

「そしていつかその持ち主があとかたもなく消えてしまっても、思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染み込んで生き続けるとしたら…」

「いろんなところを漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびこんでみるかもしれない。」

「時々、初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔の誰かの思い出のいたずらのだ。」

(p158)

『夏の庭』は「実家に帰るときのワクワク感」を思い出させてくれる。そ

れは、登場人物であるおじいさんが幼い頃の記憶を思い出させる存在として、『夏の庭』に佇んでいるからなのだ。

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