こんな映画がひとつくらいあってもいいだろう『世界にひとつのプレイブック』

雑談

別居中の妻を忘れられない躁うつ病の男と、夫に死なれセックス中毒になった女が、病気に立ち向かい気持ちを前向きにするために、地方のダンス大会にむけて努力を重ねるストーリー。
この映画で中心となる男女二人は、ダンスで大成功することを目標にはしない。あくまで「観客に見せられる水準にする」という等身大な目標を立て、それを超えることを目指していく。

その二人の目標達成の仕方は、等身大に生きる僕たちの日常感覚と近しいところがあるため、親近感を抱きながら見ることができる。


この映画を見て僕がいいなと思ったのは、ほんとに凡庸なのだが何か達成可能な目標に向けて努力を習慣化し、スキルの上達を感じられることの楽しさだ。大学に入ってからは自堕落な生活を続けている僕にとって、コツコツとダンス大会に向けて努力を続ける二人の姿はまぶしかった。

「ブルーピリオド展」を見に行った時も思ったけれど、人は「かけた時間とコスト」に対してアイデンティティを抱くタイプと、「自分の才能や技量」に対してアイデンティティを抱くタイプの二つに分けられるんじゃないかなと思う。

「ブルーピリオド展」に行き、アートと才能と努力について考える。

この映画は、全編にわたって「かけた時間とコスト」に対して、主人公たちが誇りを持っていく様が描がかれている。

この映画の内容はよくハリウッド映画に見られる手に汗握る大スペクタクルや迫力のある怒涛の展開といったものではなく、ただ「ダンス大会に出場に向けて努力する」という言ってしまえば地味な内容といえる。

しかし、派手な映像と音が志向される洋画の中で、たまにはそういう地味な映画があってもいいだろうと、僕は素朴に感じた。

ただ、主人公の男が抱える躁うつ病の症状をこの映画はかなりリアルに映し出しているため、その演技を受け入れられるか拒否反応を起こすかによって、この映画を楽しめるかどうかは変わってくるなと思った。

Pocket
LINEで送る

コメント

タイトルとURLをコピーしました