入学と同時に大学ぼっちになった北大生がその経緯/一人でやっていたこと/抜けだすまでを語る

雑談

僕は北海道大学に入学した2021年4月から、年の明ける2022年1月までの9ヶ月の間、友達ができずぼっちでした。後藤ひとりでした。

今回はぼっちになった経緯、ぼっちの時にやっていたこと、ぼっちを克服した過程を書いていきたいと思います。

ぼっちになった経緯

2021年、僕は大学に入り、ぼっちになった。

ぼっちになった理由はよくわからなかった。気分は四谷学院の広告だった。「なんで私が、大学ぼっちに」

しかしよく考えてみれば、僕が大学ぼっちになったのは必然だったのかもしれない。

まず、コロナによって対面の活動がなくなった。それが僕に友達を作るのを難しくした。

中高と、対面の場で誰かが話しかけてくれるのが友達作りの一歩目だった僕にとって、これは相当の痛手だった。

むろん、対面活動で友達づくりの努力を怠っていたわけではない。

強調するが、僕は数少ない対面で顔を合わせるチャンスを、無駄にしようと思っていたわけではない。

初めて大学に行った日、クラスの人と顔合わせをして、一応隣になった人とラインを交換した。

しかし、対面活動はその後3ヶ月もの間、一度も行われなかった。3か月も、である。

そもそも、顔を合わせることのない人間とネット上で話をつなぐというのは、当時コミュニケーション弱者であった僕には不可能な話だった。

そもそも対面の会話ですら「あっ」と言わないと始められないのに…。

友だちづくりのための努力として、サークルの新歓にも沢山いった。

コロナで対面活動が制限されているため、全ての新歓はオンラインで行われていた。僕は、twitterで情報収集をし、片っ端からサークルの新歓のzoomミーティングを開いた。

そして、実際に数個のサークルに入った。

しかし、私が所属したサークルは、ほとんどが対面での活動を行わないサークルであり、実生活上での関わりや、同期との繋がりといったものは全く生まれなかった。

ただ週一回のzoomミーティングに参加し、先輩がしゃべっているのを小一時間聞いて、「対面活動が解禁されたらこれをしたい」という希望が記された議事録が、lineグループに投下されるのをただ眺めていた。

(zoomミーティングの良くないところは、下っ端の発言権が制限されることにあると思う。ミーティングの性質上、会話の話題は一つの部屋に対して一つだけになる。なので、例えば複数人の部屋の中で、先輩二人が話をしている中に、新入生の私は口をはさむことができなかった。)

サークルに所属することは、確かに孤独を癒すために必要な一週間の「予定」にはなった。しかし、それによって人とのつながりができるわけではなかった。ただ、先輩の話をラジオ感覚で聞いていた。

Twitterでも友達を作ろうと努力した。
しかしダメだった。

僕はTLのノリに合わせて行われるコミュニケーション、いわゆる界隈のノリを好きになることができなかった。

僕はネット上でも友達を作ることができなかった。Twitterで友達作れる人ほんとにすごいと思う。

まあ、これに関して言えば、私はただ変に卑屈になっていただけなのだと思う。

「即物的に、TLのノリに同調するのは恥ずかしいことだ」

と妙なプライドを持っていた。

今振り返ってみると、やっすいプライドだなあ笑と思う。その「即物的」(笑)なノリがtwitterのいいところなのに…。

そんなわけで、コロナで対面活動が制限されたことから、あるいは(というか多くの部分で)僕自身の卑屈な性格から、僕は大学入学から2021年一杯の9ヶ月間、大学ぼっちであった。

『ぼっちざろっく』からろっくを抜いたような生活を、僕は送っていた。

大学ぼっち中にやっていた遊び6選

ここからは、僕が大学ぼっちだった期間に、どのようなことをして時間を潰していたのかを紹介する。

僕がやっていた一人遊びは、ざっくり分けて6つある。

・映画

Amazonprimeで目についた映画を片っ端から見ていた。本当に片っ端である。一時期はAmazonprimeのおすすめに出てくる映画で「見た映画」が「見てない映画」を超えた。

高校の頃と比べて、驚異的な本数を私は見ていた。

特に2021年の10月は、一日に一本以上見ることを自身に義務付けており、計37本の映画を見た僕は脳がおかしくなった。

まず、現実世界で綺麗な景色を見るとそれに勝手に黒色の帯がかかり、視界がシネマスコープになった。

また、屈んで物を取ろうとした瞬間に、自分のしゃがんだ挙動の映像が、映画の一シーンとして頭に浮かんでくるようになった。

そして、洗濯物を干したり、教養棟の廊下を歩いていたり、生活のいろいろな場面でハンスジマーやエンリオモリコーネの劇奏が頭の中で止まらなくなった。

マジで病気だった。自分が現実の中にいるのか、映画の中にいるのかがわからなくなる時があった。

しかし僕には、例えば藤本タツキのマンガ、『さよなら恵梨』のように、映画好きの仲間、ましてかわいい女の子が都合よく現れることはなかった…

・読書


読書も、映画と同じようにインプットが加速した。

去年の読書記録を見たら、一年で124冊読んでいた。暇すぎる…。

夏休みのある時期は、家とBOOKOFFを往復するだけの日を3日間繰り返したこともある。

6月のある日は1日に5冊ぐらい本を読んで、目がバッキバキになった。車校のおっさんに「君、目が死んでるよ」と言われた。

過剰にインプットを続けていると、活字の情報が頭の中でぐるぐる回って、頭の中が「文字」でうるさくなった。

外に出て人と会話をしていないと、頭の中を流れる言葉が誰かが現実で言った言葉なのか、本の中の言葉なのかわからなくなる。

今、自分の脳内をめぐっている言葉は、住んでいた学生会館の職員と会話した言葉なのか?本の中で交わされた言葉なのか?あるいは、別の…?

何か考えがあったのか、『車輪の下』とか『孤独な散歩者の夢想』とか、ぼっちであることを自分の身にひしひしと感じさせるような、暗い本をとりわけ読んでいた。暗い本を読んだ後は、陰鬱とした気持ちになって眠れなくなった。

あるいは、岩波文庫の難しそうな本を読んで、一人で「自分は高尚なことをしている!」と悦に浸っていた。今、その本を読み返しても、全く内容を覚えていない。純粋な興味というよりも、ファッションとして知識を吸収していた。

日中外に出ず、学生会館のクソ狭い部屋で本ばっかり読んでいると、夜、布団の中で目が冴えて眠れなくなった。狭い部屋、沈黙が流れる中、1人でいると不安なので、ベットでも本を読んで現実逃避をした。読書の無限ループにはまっていた。

深夜、ベットの上で本を読んで、一人で悶々としている、そういった日が1年生の時には多々あった。深夜3時、4時を超えることはざらにあった。眠れないことがさらに僕を不安にさせた。

隣に住んでいる浪人生が勉強のストレスで壁を叩いてくるのも怖かった。僕は、読書による不眠症と浪人生の壁ドンでノイローゼになった。

・絵

1日一枚、見たアニメの絵を描いていた。特に絵が上手いわけではなかった。自己満でTwitterに書いた絵を載せていた。

大体一枚3時間ほどかかるので、絵を書くことはもっとも時間を潰すことのできる遊びだった。

twitterで展開される自己顕示バトルに負けないために、一芸を身に着けようと思い、そこで手っ取り早く趣味として、自分にできそうなのが絵だった。

しかし、今考えれば、絵に一日3時間をかけるその努力を、コミュニケーションの方向に向けたらよかったのにと思う。

・ラジオ

絵を描いている間はよくラジオを聞いていた。

有吉のサンデーナイトドリーマー、星野源のオールナイトニッポン、アニメのラジオなどを好き好んで聞いていた。

大学になってから聴き始めたラジオは、新鮮で面白かった。芸人同士の掛け合い、リスナーとのリアルタイムのコミュニケーション、連発される下ネタなど…。いろいろな楽しみを僕はラジオから受け取った。

しかし当時の僕にはそのラジオの面白さを共有する友達がいなかった…。

・登山

札幌の山という山を登った。藻岩山は当然として、手稲山、八剣山、夕日岳などなど…。特にアウトドアな性格ではなかったが、とにかく暇が潰れるなら何でもよかった。

小樽の天狗山にも登った。天狗山では、何を考えているのか、間違えて登山道ではなく夏季に閉鎖されているスキーのゲレンデを登ってしまった。スキーのゲレンデは荒廃していた。登山の最中、かかとに刺さった棘が一週間ぐらい抜けなかった。

・食べ歩き

北大周辺の北18条〜札幌駅間の飲食店はもとより、大通やすすきの、北24条などのさまざまな飲食店を食べ歩いた。

それは半分暇つぶしでもあった。遠くの飲食店に出かければ出かけるほど暇がつぶれた。

ひどい時になると、北12条からわざわざ歩いて、真駒内でご飯を食べていた。真駒内公園の原っぱに一人で寝転び、「何をやっているのだろう…」と内省したのを覚えている。

友達ができた時に、美味しいお店を知っていることは一つの価値になると考えていたので、毎日のように違った店でご飯を食べていた。

この食べ歩きのおかげで、今では友達や後輩にいろんなお店を紹介できるようになった。だが、弊害もある。

その弊害とは、先輩にご飯に連れて行ったもらった時、「ここもう行ったことある…」ということが多々起こることである。

けれど小心者の私は「ここのチャーシューうまいんですよね!」なんて言うことができず、初めて来たふりを全力で行うのだった。 

・自転車旅行

暇すぎて、自転車が使える春から秋の期間は、札幌市を自転車で徘徊していた。

定山渓、森林公園、モエレ沼公園、真駒内霊園、石狩湾、旭山展望台、大倉山などのスポットを、私はすべて自転車で訪れた。

札幌市以外では小樽、支笏湖、千歳、苫小牧に行った。
2021年の夏休みには苫小牧からフェリーに乗り、東京の実家へと自転車で帰省した。

自転車で旅行をするのは楽しかった。音楽を聴きながら、体を動かしている間は、高校の部活やってた時を思い出して気が紛れていた。何より時間が潰れた。

・その他

この他にも、孤独を紛らわすために色々なことをしていた。

札幌市内の博物館をひたすら巡ってみたり、ドンキでキャンプ道具を揃えて一人でキャンプをしてみたり、麻雀アプリを高校の友達と6時間以上やってたり…

嫌な思い出だ…一体大学生活のどれだけの時間を、僕は一人でダラダラと使ってしまったのだろうか…

私自身がこの時期の自分を振り返った時に総じて言えるのは、「コミュニケーションのベクトルが相手に向かっていない」ということだと思う。自閉している、閉じこもっている。

・対面活動の再開(2021年10月~)

対面活動が解禁された後期(2021年10月)の時期は、より一層寂しかった。

大講堂を眺めると、そこには部活やサークルで出会ったのであろう人たちの交流が開始されていた。積み上げられた社会関係資本の壁のようなものを、私は脳内でイメージした。

教室にはただ一人遊びを追求して孤立した私と、入学したときからコミュニケーションのベクトルをちゃんと相手に向け、時間と言葉を共有してきた人たちの二つがいた。

僕は疎外感を感じていた、大学に通うのが嫌になった。

しかし授業を受けること、まじめに課題をやることは一番マシな暇つぶしだった。

僕は対して興味のない授業も熱心に受けた。特に、具体的な学問に対するモチベーションがあったわけではない。ただ、時間をつぶすためになるものなら何でもよかったのだ。

ぼっちからの離脱 2022〜

僕が大学ぼっちを克服したのは2022年に入ってからのことであった。

その頃には入学と同時に入っていたサークルの活動が、対面活動の再開と同時にじわじわと始まり、新しく入ったアルバイトと部活の活動が始まった時期であった。

結局、僕のように、フリーで活動しても友達を作れない人間に残された道は、コミュニティの力を借りることだった。いろいろなコミュニティに所属し、大学生活内における活動を増やすことが、結局一番ぼっちを抜け出すことに有効であった。

新しいコミュニティに入ったり、既存のコミュニティへの参加頻度を上げることで僕は友達を作っていった。しかし、対面活動が解禁されていなかったら、僕は一体どうなっていたのだろうか…?

まとめ

以上、僕が大学ぼっちになった経緯、ぼっち中にやっていたこと、ぼっちから抜け出した方法について書いていきました。

今振り返ってみても、ぼっちの時間が果たして自分の糧になったかどうかは分かりません。

しかし、わかったことがあります。少なくとも僕は寂しさに死なない程度には一人遊びをして過ごせることが分かりました。本や映画、街歩きなどの一人遊びによって、少なくとも、一人で生きることはできるんだと思いました。

でも、その生活は本当にしんどいです。しんどい。人と喋らないと自分の脳内の一部が腐り落ちていくような感触がありました。自分は今、孤独な大学生活を送っている。そう考えるだけでマジで胸がちぎれそうな感覚がありました。暗い感情が自分の中を渦巻いている感触を今でも覚えています。

そして、人が「うまくやっている」姿を見るたびに死にたくなりました。

SNSのTLで行われる、「リアルが充実している」という投稿、言説。そういうTL上で行われている他人の自己顕示バトルを見るたびに、僕は死にたくなりました。

当時の僕は、Twitterでリア充投稿をしている人たちを見て、いつもどうしようもない寂しさを感じていました。

「先輩とご飯を食べに行きました!大学生活について、いろいろと教えていただいてありがとうございます!」

「エンカした!(※ twitter上で知り合い、実際に対面で会うこと)twitterとは違うキャラだったけど、すごいいい人だった!」

そういうツイートを見るたび、僕は寂しくなりました。twitterのTLは、特に新歓期、「うまくいっている自分」自慢が同時発生的に行われます。それはもう、ゾッとするぐらいに。

僕はそれで精神を病みました。

SNSから逃れたいと思っても、僕が一年生の頃はコロナ禍で、コミュニケーション手段がオンラインに収束していく状態にあったので、twitterを開いた時に出てくるのが自己顕示バトルだとしても、twitterを手放すことが僕はできませんでした。メンタルを病んでいるのに、SNSを続けてしまったこと、それも後悔の一つです。

コロナ禍と違い、対面活動が再開された今(2023年度)、多分皆様は、僕よりも充実した大学一年生を過ごすことができると思います。サークルや部活に入っていれば、何かしらのつながりは絶対に作れます。

新入生の皆様が、自分らしく楽しめる大学生活を送れるよう祈っております。

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