『思い出トランプ』を読む

雑談

『思い出トランプ』の中で向田邦子が描いているのは親であり、夫であり、妻であり、娘であり…つまり家族である。そしてその家族は現代のそれではなく、間違いなく昭和の家族だ。

家族の紐帯がよりくっきりとイメージできた時代の中における生活を描写している。

読みながら私が連想していたのは家族のこと、それも今私を取り巻いている家族のことではなく、私が生まれる前、両親や祖父母が生きた時代の家族である。

家父長制が強く、定年まで勤め上げることが美徳とされ、夫婦に男一人女一人の世帯を持つことが理想とされた時代の家族。その家族に対する想像力が、『思い出トランプ』には満ちており、自分の前世代の家族がまだ今とは違った仕方で「生活」をしていた時の感覚、それが思い起こされる。

例えば女房は家事をやり、服を仕立て、姑と関係を調整する。


父親は外で女性を引っ掛け、出世に1番の価値を見出し、家では強い権利を持ち小言をいう。『思い出トランプ』にでてくる登場人物像が、自分の中で強い解像度を持って結ばれるのは、ある意味ステレオタイプのように家族間の役割や性格が描かれているからであろう。

そういった親世代の家族観に支えられた世界観の中で、向田は家父長制の構造を逆転させた関係性も描く。

『思い出トランプ』において秀逸なのは、こうした価値転倒を含んだ小編を、家父長制度を諧謔的な態度で見ることで描くのではなく、あくまで生活の中で滲み出ていく夫婦の性格を写しとることで描こうとしている。

例えば火事や葬式などの一大事を「体のはしゃぐお祭り」と捉えたり、娘を見殺しにしたとも取れる行動をした奔放な妻が登場し、それに夫が恐れを抱いて怒れない姿を描いた『かわうそ』。

痩せて貧相な父と、常に強気な母の元に育った男。父のように妻の尻に敷かれるのを恐れ、「少なくともこの女はオレを裏切ることだけはないだろう」と確信する妻をもらいながらも、自身の娘に夫を脅かす女(母)の存在を見る『はめ殺し窓』。

家父長制にはそぐわない「強い妻」は、決して自ら夫を脅かす言動を見せない。
それよりもむしろ、強い妻を取り巻く家族が妻を恐れ、妻に勝てない自己イメージが形成されていく。

『思い出トランプ』の中で繰り返し用いられるモチーフがある。包丁である。台所で用いられている包丁が、いつ凶器に変わるかわからない…。


男性が女性の一挙手一投足に怯えている様子。向田は男たちの様子を露悪的に描こうとはしていないが、しかし読む側にはすこし滑稽に感じてしまう。

『思い出トランプ』に登場する、家族の紐帯や家父長制を乗り越えて人柄や性格で人々に恐れを抱かせる女の姿に痛快さを覚えた。

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